ルーブル美術館など | ||||||||
ルーブル美術館 朝7時過ぎ朝食を食べながら、今日行く予定のルーブル美術館などの話をしました。8時半前にホテルを後にし段々と見慣れてきたサンジェルマン大通りなどを歩き、セーヌ河畔に出ました。 輝く朝の陽光は眩しいものの、まだまだ高くなくて建物や緑の木立の影は長いものでした。美術館が開くまで時間調整も兼ね、今回はシテ島を横切る形でゆっくり歩いて行きました。 ルーブル美術館の中庭に入ると、名物となっているガラスのミラミッドがありますが、残念ながら、まだ日影になっていました。近寄ってみるとガラスを支えている骨組みなどがよく見えました。 開館時間にもう少し時間があるのに、もう入口付近には人の列が見えました。中庭から朝日に輝くカルーゼルの凱旋門やチュルリー公園などをカメラに納め、私達も早速列に並びました。 9時過ぎに凶器探知器のような入り口をくぐり抜け、エスカレーターで下るとガラスのピラミッドの下に行きました。このフロアーは、上から見た感じより広く、私も後で購入した絵葉書・ポスターを始めお土産店など、ちょっとしたショッピング街みたいにも見えました。また、通称”逆さピラミッド”もあり、大きさを真近かに感じました。
サモトラケのニケ(勝利の女神像) たくさんの彫刻・彫像があるなかで、やはり私の様な者にも馴染みがあるのが、ミロのビーナスとサモトラケのニケ・勝利の女神像だったと思います。私は、この女神像が発見された時のことの詳細は分からないので、残念ながらと言うしかないのですが、頭部と両手がありません。 でも、かえって(なくなっているところも含めて)色々な想像ができて、しかも足や翼の動きなど、今にも飛びたたんばかりの清々しさとか、なかなかいい彫刻だなあと思いました。 あと、後日フランス語版ホームページやフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを見てサモトラケのニケ・勝利の女神像の意味など少しだけですが分かりました。 この像はエーゲ海のサモトラケ島で発見されたこと。「ニケ」の言葉自体が「勝利の女神」という意味があること。さらにはスポーツ用品メーカーで有名なナイキ(NIKE)の名前はこのニケからきていて、あの翼を広げたようなデザインも、この像の翼をモデルにしていることなどです。 ミロのビーナスは、もう私が何も言うこともないくらい超有名ですが、これまた、人の多いフロアーで、なかなかいいポジションでカメラが構えにくいところでした。これらが制作された当時の彫刻はいくつかあるようですが、それにしても何と完成度が高いのでしょうか。 あと絵画のところでは、やはりモナリザを見に行きました。と、言っても絵を見に行ったのか、はたまた黒山の人だかりを見に行ったのか分からないくらいでしたが、なんとか絵は見えました。「なんか、予想より小さい絵ねえ」との声も出ていました。 私はこれで3回目になりますが、そのたびに警戒が厳重になっているようで、一番最初少ない見学者でもっと真近で見れていた頃が懐かしい感じがしました。あまりうまく説明できませんでしたが「あの顔を挟んで、左と右の地平線が違うみたいよ」など言っていました。「世界で最も有名な絵で、最も謎の多い絵」とも言われていますが、それはここに来て見ておられる来場者数からも何を言わなくても分かる感じがしました。 ほかの絵の方では、たくさんありすぎて短時間で見ることは不可能でしたが、ダヴィッドのナポレンの戴冠式、ルーベンスの絵などは教科書でも習った覚えもあり、立ち止まってみました。どちらとも大きな絵ばかりで、どうやって描いたのかなあと思うほどでした。
甥姪が法学部と言うことでハンムラビ法典の石碑を見に行こうと言うことになりました。しかし、なかなかどこにあるのか20分くらいウロウロしました。やっと見つけて「なんだあ、こんな所にあったのか」と言ってました。 歴史の教科書でも写真付きで、このハンムラビ法典は紹介されていますが(当たり前と言えばそれまでですが)そのままあるのだなあと思いました。石碑の頭部は左のハンムラビ王が右の座っている神様から法典を授かっているところと言われています。その下にビッシリと法律条文が楔形文字(くさびがたもじ)で彫られていました。 楔形文字などは、意味など全く分からずに、ただ見ただけですがそれにしても、約4千年前、石にこんなに精巧精緻に王たちの模様や文字が刻まれているとは、人の巧みの技は改めて素晴らしいなあと感心しました。 ハンムラビ法典と言えば「目には目を、歯には歯を」など有名な条文があり、一見「やられたら、やりかえせ!」と復讐を推奨している怖そうな感じに聞こえます。でも、この法律はむしろ、やられた方が”事件直後”当然報復の念が強くなるので、この条文に即して「この程度で抑えよ!」と言う意味があるそうです。 まあ、そう言われれば(この通り実施されたかどうかは別として)お互いに一つの公平な尺度だったのかもしれません。法律論は別としても、私は先に書きました通り、この石碑の彫刻技術に敬服しつつ、この部屋を後にしました。 バイキング方式のカフェテリア 12時近くになり、絵葉書やポスターなどを購入し、ルーブル美術館を出ました。セーヌ川とは反対側に美術館横にはリヴォリ通りがありました。この通りは色々なお土産店もある所ですが、私が一度行ったバイキング方式のカフェテリア『カフェ・インターナショナル』で昼食にしようと言うことになりました。 このカフェテリアはそう大きな店ではないのですが、美術館からも近いし各自好きなように盛り合わせて取れるので、いいかなあと思って入りました。肉類だけでなく、野菜サラダ、スパゲッティーさらには白ワインのミニボトルをトレーに載せ、テーブルに着くと、もう美術館の話など弾んでいました。12時40分くらいになり、次にここから少し歩いた所にあるオランジュリ美術館に行くことにしました。 |
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(旅行メモ) 07:10 朝食 08:20 ホテルを出て、セーヌ川を渡りシテ島をゆくり歩いた。 08:40 ルーブル美術館の中庭、ガラスのピラミッド、ガルーゼルの門などを撮った。 09:05 凶器探知器のような入り口からガラスのピラミッドの下に下った。 09:15 彫刻の展示室、モナリザ、ダヴィドのナポレンの戴冠式、ハンムラビ法典など12時前まで見ていた。 11:50 リヴォリ通りのヴァイキング方式のカフェテリア『カフェ・インターナショナル』で昼食をとった。 12:40 カフェテリアを出て、オランジュリ美術館に向かった。 |
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(掲載日:2006年8月11日) |