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これが、本当のサービスなんだ

ホテル・カルディナル・ドゥ・ロアン
 私たちは『ホテル・カルディナル・ドゥ・ロアン』に3泊4日(2004年6月17日から20日まで)、お世話になりました。このホテルは、ストラスブールのシンボルともいえるカテドラル(ストラスブール大聖堂)の直ぐ近くにあります。

 このホテル名の由来について質問した訳でもないので、正確さに欠きますが、貴族の名前で以前はその館ではなかったのかなあと思います。また、このホテルと関連あるのかないのか、これまた、私は不明ですが、近くのイル川沿いの所に、パレ・ロアン(ロアン宮殿:現在の考古学博物館、美術館、装飾博物館)もあります。この宮殿は、1771年にマリーアントワネットも滞在しているようです。

 なおこのロアン宮殿と同じ名前であるロアン大司教は当時の聖俗界の大実力者で、マリーアントワネットとの関係では「首飾り事件」に登場する人です。まあ、どちらにしても、このパレ・ロアンやカテドラル近くには貴族の館も、昔多かったと思われます。

 かなり、前置きが長くなってしまいましたが、このホテル予約は、姪が日本からインターネットでしてくれていました。私なら旅行代理店任せですから、語学力があれば、つくづく便利になったなあと思いながら、鍵をもらいました。

ホテルの室内
 エレベーターで4階(日本なら5階)に行き部屋を開けると、奥のベッドルーム左側には、モネの『日傘の女』、右側の壁には馬数頭が駆けている絵が飾ってあり、部屋全体質素ながら落ち着いた、のんびり出来るものでした。

 バスルームは真新しく、ドライヤー、石鹸、シャンプーやバスタオルなどあり、私は、汗かきでもあり、宿泊期間中このお風呂に5回も入っていました。

 また、大きい四角の鏡とは別に、角度調整できてクローズアップ(?)する丸い鏡もあり、何だろうと思って覗き込むと、(面の皮は薄いものの)元々大きい自分の顔がさらにニョッキッと写ったので、笑うしかありませんでした。

 あの鏡、男のひげ剃り用か、女性なら顔部分集中の化粧用なんだろうなあと思いながら、次にクローゼットを開けると、2人から3人分は充分入る大きさでした。

 あと、私はこの部屋で朝5時頃から起きたり、寝たり、本読んだりと毎回していました。朝早い野鳥の鳴き声は、市街地にしては多いなあと感じました。6時過ぎた頃からは、近くの通りでは食物か何かを運搬しているのか、少しづつ車の音も聞こえてきました。

 それよりも何よりも7時になると、時を告げるカテドラルの鐘の音がカランコロンと鳴り始めるのも毎朝聞きました。私の耳の錯覚かもしれませんが、鐘のなり方は、7回どころではなく、けっこう景気良く何十回も聞こえたような気がしました。また、その鐘を待っていたかのように直後、ストラスブール空港離陸一番機のジェット音が窓辺にとどいてきました。

パティストリー
 このホテルでお気に入りの場所は、フロント前の待合室と朝食をとった部屋です。まずは、両部屋の壁には何百年前からあるのか分からない位の古いパティストリーが飾ってありました。

 これには値段を付けることができないとのことでした。絵心が全くない私でも、フムフムと毎回見て、カメラにも収めました。

 さりげなく置いてある(いずれも年代を感じるような)大理石や鏡などの調度品、それに心和む生け花など心憎くさえ感じました。このような古き良き雰囲気がありながらも、一方、隣の部屋には現代旅行の必需品インターネットサービス用パソコンもちゃんとあり、メール確認などに重宝していました。

 フロントのマダムは、当然交代はされますが、いずれも4から5カ国語話されているようでした。その中でも、一人のマダムは、語学音痴の私も耳に爽やかに聞こえる発音で、なおかつ、お客様だけでなくホテルに来られる方全てに懇切丁寧で、しかも無駄のない身のこなし方でした。「あー、これが本当のプロのホテルマン(ウーマン)なんだなあ」と、つくづく実感しました。

 私も調子に乗って、誰もいない時に片言の英語で「カテドラル広場からイル川沿いまでの通りはいいですね」と言うと、マダムが「もう、カメラで撮りましたか?」と返答されたので、「明日朝撮ります」、「明日、いい写真が撮れたらいいですね」などの話しが続きました。ほんのちょっことした会話ですが、やはり、このようなことはずっと覚えているだろうなあと私は思います。

 あと、色々な問い合わせ、タクシーの手配、朝食の案内や清算など、いずれもテキパキとこなされていました。(後で)私は、姪に「このホテル、いいね。もう一回機会あれば泊まりたいね」と話していました。

 チェックアウト時、皆さん口々に「マダム、メルシー」、「ありがとう」、「サンキュー」と言っておられました。これに対し、マダムの方からも「メルシー、オボワール。ハブ・ア・ナイスデー」がありました。その明るい見送りの言葉を背に受けながら、私たちは4人はホテルを後にしたのでした。(掲載日:2004年7月1日)


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