第7日目10月22日(金)
TGV(フランス新幹線) 06時にかかってきた国際電話で目が覚めた。小林さんが受けられ主な内容は「エールフランスのストライキでジュネーブからパリまで飛行機では行けない。替わりにTGV(フランス新幹線)で行くことになる。直接費用はエールフランス持ちだが予約料金は各自持ちでお願いしたい。申し訳ないがこの料金は約款で旅行代理店で負担できないことを皆さんに説明して欲しい」とのことだった。 朝風呂にはいり、昨夜途中になっていたサムソナイトにパッキングをしていると、もう07時30分の朝食時間になった。昨夜のチーズフォンデユやオイルフォンデユでお腹の調子をこわされた小林さんを始め、「エーデルワイス」の報告が続いた。 08時30分ロビーにいたらジュネーブの旅行代理店の宮村さんが来られ、エールフランスのストライキの状況やTGV(フランス新幹線)の手続き等で説明された。小林さんが「あなたが全部やってくれたの。予約等を今からしなければと思っていたが助かった」と言われた。 あとは予約料の徴収だけでこれは小林弁護士夫人が手際良くやって頂いた。 各自ホテルの精算をしたが河原井さんの部屋のビール代の請求書の件で色々とあった。それも終わり、09時10分にはお世話になったエプソン・ホテル・マノテルをバスで出発した。 15分後にはコルナバン駅に着き手荷物をポーターに預け、それからスイスフランを総てフランス・フランへ両替した。私はトラベラーズ・チェック5万円を交換すると2533フランになり、1フラン=19.7円で約20円と覚えた。税関で私は買った時計の免税措置のカードを出し、10秒かからず簡単に通過できた。 出国の通関もいつやったのか分からない位であった。聞くと日本人団体旅行はほとんどノーチェックで政情不安な国やヨーロッパの各国の人をむしろチェックしているのではとのこと。 まだ、出発時間まで間があるためホーム下のロビーで待っているとストライキの影響もあるのかお客さんが多かった。それにしても皮膚の色も違うだけでなく、登山用のザックを持った人、親子連れや派手な服装の人も含め実に様々で個性あふれている人達であった。 09時50分ホームに上がった。電車をバックに私がガイドの宮村さんと一緒に写真を撮ろうとしたら、皆さんから「オウ、ツーショット、時計も出して」等と冷やかされた。宮村さんはここで別の仕事もあり、出口に行かれた。 10時00分発の予定のTGVは少し遅れてオレンジ色の車体をホームに滑り込ませた。 どんな車内かなと期待をもって入ったが実用そのものの仕様でしかも座席が前向きにならず少し不満が出た。「やはり日本の新幹線がいいな〜」と思ったのは私だけでなかったと思う。10時08分、TGV(フランス新幹線)974号はコルナバン駅を出発した。 山口さんがふたつの自動ドアの間に挟まれたことでしばし話題となった。フランス側の農家の作りは昨日までのスイスに比べ貧しそうに見えた。前方のカフェに若くて可愛いパリジェンヌの売り子さんがいた。 長蛇の列でカフェは買えなかった。 フランスの広大な農地が続き、牧場には珍しい白い牛(日本にいる白・黒でない一色の白)ものんびり草を食べていた。(1994年1月1日記す) |