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騒ぎ放しの民謡レストラン

 20時前にフォルクローレ等の生演奏する民族歌謡レストラン『エーデルワイス』に入った。ここは私達が泊まっている『エプソン・ホテル・マノテル』のチェーン店で1階から上は同名の『ホテル・エーデルワイス』だった。中は休憩中かまだ静かだった。店内は木目調の黒の板張りと柱を中心とした作りで花の飾り付け等もしてあった。

 ウェイターとウェイトレスは白ワイシャツに赤いベスト、バンドのメンバーは白の開襟シャツに青いベストの服装だった。 赤地のテーブルクロスのかけてある席に着くとウェイターが注文を取りに来た。各々半々位でチーズフォンデユ、オイルフォンデユのスイス料理とワインを頼んだ。膝にかけるナプキンは白と赤のチェック模様で感じが良かった。焜炉の上に小さなスチール製の鍋が運ばれそれぞれオイルとチーズが入っていた。

 長い鉄串にサイコロ大のパンをチーズをからませて食べるのがチーズフォンデユ、肉や野菜をオイルに入れて食べるのがオイルフォンデユだった。 私はチーズフォンデユを頼んだが、パンもチーズも1串で口に合わなかった。

 隣のオイルフォンデユはまだ種類もあり、ついつい手が出たがそれにも限度があった。お腹がすいたままでは寝れないのでワインをガバガバ飲みながら流し込むような感じで食べた。

 生演奏が始まろうとしていたが、その前にアルプスホルンを吹いた。プロがやるとちゃんといい音が出た。客席を順にまわり希望者に吹かせてくれたが、なかなか「ブ〜ウ」でなく「スウー」位で思うようにいかなかった。中には意地になってやる人や女性ながら肺活量があるのか拍手誘う位の音を出す人いた。

 音楽が始まりドイツ風でもあり、アメリカのポップスありとさまざまだった。中には「桜、サクラ」「オーブレネリ」「上を向いて歩こう」等の日本語演奏や「ドレミの歌」もあり大声で一緒に歌った。ベース、ギターやアコーディオンの楽器以外にもいくつもの(ひとつずつ音階が違う)鐘の種類を使った演奏も面白かった。

 その他にも西洋ノコギリもあり、うなるような音が出て、始めて聞いたが興味深かった。久しぶりにアコーディオンを聞いたが調子の良い楽器である。

 私達が有名な「エーデルワイス」の曲をリクエストすると「もう今日は2回もやったよ」と言いながらも後で演奏してくれた。私もシャンソンの「ラビアンローズ(薔薇色の人生)」を頼むとスイス風シャンソンだが、なかなかうまかった。ダンスの方は通訳の小林さんと弁護士の小林夫人が火付け役でペアで踊りはじめた。

 アメリカの50年代ポップスが演奏されると皆さん一斉に踊りだした。バンドも乗ってきたのか次つぎにアップテンポの曲が続いた。

 店内は私達のグループで貸し切ったかのごとく踊っていた。この後私は疲れもあったのか喧騒な店内にあって不覚にも居眠りしていて良く覚えていなかった。あとで「上野君こんなことあったよ? あんなことしたよ? 隣の外人さんと話したこと覚えてる?」等と言われたが、あまり記憶になかった。 22時まわりそうだったので帰ることにした。全員で精算すると一人約75フランだった。

 とても食べられるチーズとオイルフォンデユではなかったが、事実上貸し切りで騒げたのだからマアマアの値段だったかもしれない。私達が出る時の店は海の潮が引くように静かになった。 雨の上がったジュネーブ最後の夜はウキウキ気分もそのままにホテルへの道を急いだ。

 22時40分ホテル着き、いつもは部屋で行っていた交流会もせず、各自「明日はパリだと思いながら」旅行鞄の整理をしていた。しかし、疲れはどうしようもなく30分後には耳に残るフォルクローレの音を夢枕にした。(1994年1月1日記す)

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