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高木さんのイタリア遊学記
知人のフィレンツェ訪問(1)
フィレンツェ全景
携帯電話の一報
 ホームスティで日本の推理小説(松本清張著)を読んでいる時、携帯電話が鳴った。元、同僚の深江さんの声だった。私は夢にも思わなかったので本当に驚いた。

 若者風に言うと「え、うそ!」「本当にあの深江さん?」。すぐに当時の長崎や佐世保の職場でいろいろと一緒に仕事をした当時のことがよみがえってきて、体全体が興奮したのを覚えている。うれしかった。

 日本を離れて数ヶ月。久しぶりに聞く懐かしい声。深江さんも変わりがないようだ。そして、日本語での会話は久しぶりだ。動詞も形容詞も副詞も自然にまた、現在形も過去形も未来形も自由に出て来る。あぁ〜イタリア語もこれくらい話せればいいのだが?とても、とても。彼の声はイタリアと日本の距離間など全く感じさせない力強く、元気な声だった。

 同じ職場だったので課内のみんなで一泊の温泉旅行に行ったり、仕事ではいろいろと親切に教えてもらったり、本当にお世話になった。数年前も家族で欧州旅行をしており、今回は私がここフィレンツェにいるのでぜひ、来たいと言うことだった。もちろん大歓迎だ。中国流で言うと「熱烈大歓迎」と言うところだろうか?

 しかし、残念なことには奥様が健康を害されて一緒に来れないとのことだった。家族にとって、みんなで旅行することほど楽しいことはない。だから、奥様はどんなにか家族みんなと一緒に行きたかっただろうかと思われる。夫である深江さんもそして2人の子供さんも本当に残念だったに違いない。 

フィレンツェ駅構内
準備
 翌日から地図を見る事が多くなった。深江ファミリーの訪問に備えての観光地巡りとありふれた普段のフィレンツィの街並みの散策経路だ。3泊4日の宿泊なので1日だけは遠くまで行けるかも知れない。水の都ベネチアを案内したかった。

 しかし、イタリアが誇るESスターの最速列車でも片道3時間、往復6時間もかかってしまう。日帰りだとフィレンツェ駅に到着するのは夜もかなり遅くなるだろう。「みんな相当に疲れるだろうなあ?」とベネチア行きを迷ってしまう。そして、「深江さんも、もう若くないしなあ〜」と勝手に自分のことはさておき、心配する。

 検討の結果、ベネチア行きを諦めることにした。その代わりトスカーナの小都市サン・ジミニャーノ(シエナの近く)に行くことに決断した。片道バスで1時間ちょっとだ。とても美しい中世の街なのできっと、気に入って貰えるだろう。

メールで打合せ
 息子さんと日程をその都度交わした。彼は空港に勤務しているので世界の都市には詳しかった。そして、日本からのメールにはいつも、はっきりと簡潔に書かれていたので、非常にわかりやすく、よく理解できた。一度も会っていなかったけれど、文の内容からしっかりした好青年だなあと思っていた。

 メールから宿泊のホテルがわかったので下見をすることにした。そこはフィレンツェ駅から東の方向に歩いて5〜7分ぐらい。本当に近くて便利がいい所だ。近くには有名な中央市場、大きな公園(広くて大きな木がたくさんあるので、よくベンチに腰掛けて昼食や読書をした思い出の場所)そして、中国人経営の惣菜屋(安かったのとライスを食べたかったのでチャーハンをよく買った。中国人の店員さんは私が行くとよくサービスしてくれた。

天国の扉
 しかし、チャーハンの大盛りはうれしいけど20代の育ち盛りの頃ならいざ知らず、50代の下り坂にはそんなに食べきれない。よっぽどコーラーとかミレラルウォーターの1本をくれた方がいいのに。あぁ〜全く気が利かないんだから?安い買物でつい、あつかましい気持ちになる)。

 ホテルの前の通りを中央に向かって5分も歩けばあの「受胎告知」のフレスコ画で有名なサンマルコ美術館が左に見える。そこから100m余りドーモに向かって歩くと、今度は「ダヴィデ像」で有名なアカデミア美術館に行くことが出来る。

 フィレンツェの街は芸術の都と言われるだけあって15〜20分も歩くと数え切れないほどの美術館や博物館そして、教会が見えてくる。いずれも何百年も経っている建物ばかりだ。

 ホテルに入ると経営者らしい中年の上品な女性がカウンターから「ボンジョルノ」と応対してくれた。私も笑顔で「ボンジョルノ」と挨拶する。なかなか、自分で言うのもなんだがこの挨拶の言葉だけはきれいな発音で、すばらしかった。理由はこれ以上の簡単な短い単語は他になかったので、完全にマスターしていたのだろうと思う。

 彼女に早速笑顔でたずねた。「日本の深江ファミリーからの予約が入っていると思います。私は友達です。よかったら、その部屋を見せてください」と。たどたどしいイタリア語で話す。女性は「ちょっと待って下さい」。台帳を確認している。何とか私のイタリア語が通じているようだ。うれしくなる。

 女性はわかったらしく「2階の何号室」と言っている。得意の「〜してほしい」時に使うイタリア語は「ボレイVorrei+動詞の原形」で話をする。この文型は使い勝手が多いので本当に重宝した。また、自分の気持ちが相手に優しく伝わる点でもこれ以上の言葉はなかった。

アルノ川
到着
 夕方、フィレンツェに到着した深江ファミリーをホテルへたずねた。久しぶりに顔を見る深江さんは元気な様子だ。また、今度初めて会った息子さんもお父さんに似て、ガッチリした体格をしている。健康そうで頼もしい存在だろう。

 そして、お嬢さんは以前、福岡出張の折り、深江さんから紹介してもらったので覚えていた。その時は大学生でジーパンの似合う可愛い女の子の印象が残っている。

 あれから何年経っただろうか?フランス留学を終えて、現在、東京に勤めている彼女は一段と洗練された可愛い女性に成長していた。早速、4人で夕食に出掛けた。街の中心地に向かい、散策しながら行くことにした。フィレンツェの象徴ドーモ、鐘楼、洗礼堂の天国の扉の通りを眺めながらゆっくりと歩いて行く。やがて、10分ぐらいでベッキオ橋が見えてきた。

 アルノ川にかかるこの橋は1,345年完成している。そして、観光客のだれもが絶対に訪れる有名な場所となっている。また、対岸の小高い丘のミケランジェロ広場からはフィレンツェ市街の全景が見渡せる。フェレンツェの歴史を語る時、必ずこの橋が入った絵画が存在する。それほどこのベッキオ橋は世界遺産の街の象徴でもある。

 ファミリーのみんなは疲れも見せず、初めて見る中世の歴史と芸術の街を堪能しているようだ。何百年も前の時代と通りも建物もほとんど変わっていない。ベッキオ橋を過ぎると、2〜3分でピッティ宮殿に出た。ここの庭園ボーボリ公園は広すぎて出口がどこにあるのか、途中でわからなくなった苦い記憶があった。

 これから行こうとしているピザ屋(名前はマンジャレ)はこの2軒先にあった。この日も混んでいるようだ。ここは学校の生徒達に人気がある。私もおいしくて、安いのでよく来ている。2階に上がり、ピザと赤ワイン(地元トスカーナ産)を注文する。ここのピザは直径30センチは充分にあり、厚い。初めて食べる人は1つで腹一杯になるだろう。テーブルを4人で囲み、いろいろと話が弾む。

 この店では笑われたことがある。いつものように昼食のためピザを食べに来て、いつもと違ったピザ(全然知らない)を注文した。ボーイが他に赤ワインか水が要るだろうから、どちらか注文しなさいと言っている。私はいつもミネラルウォーターを一緒に頼んでいた。

ヴェッキオ橋の金細工の店
 しかし、その日は「よけいなお世話」と思い、ピザだけにした。すると、ボーイは必ず、水を注文するだろうと言うような顔をして下がって行った。運ばれてきたピザを食べていくうちに辛くなってきた。激辛の味がして、口の中がヒリヒリする。我慢できなくなって、水を頼むことにした。

 キョロキョロと辺りを見回していると、あの時のボーイがニコニコしながらやって来た。やっぱり水が要るだろうと言う顔だ。完全に彼の勝ちだった。読まれていた。それからというもの私がいくと必ず、彼が注文を取りにきた。

 深江さんに、これから行って見たい観光地や希望の所を聞いてみる。明日はウッフィツィ美術館、アカデミア美術館、サンマルコ美術館、カシーネ公園(郊外の最大の自然公園)、フィエーゾレ(古代ローマ帝国の遺跡や最高の眺めが楽しめる丘の展望台)、夕方の夕日が沈む頃はバスでミケランジェロ広場へ。いろいろとスケジュールを話す。

 深江さん達もローマでは朝早くから起きていろいろと散策したようだ。ローマはどこどこ行ったのだろうか?それから到着した時は相当のどしゃ降りだったらしい。私もテレビでローマの豪雨は見ていたのでよく話していることがわかった。運よく過ぎ去った後に市内に入ったとのこと。本当によかった。

 フィレンツェはそんなに雨は降らなかったのにローマはやっぱりひどかったのか。と話をじっと聞く。こちらは今日も天気が良かったし、明日もきっといい天気に恵まれるだろうと話す。そして、この旅行は最高の思い出になるように、すばらしいものにしなければならないなあと思いも新たにした。

アパートに宿泊
 フィレンツェのアパートに彼を案内した。日本からの思いもよらぬ懐かしい客に私は言葉もないくらい最高にうれしかった。もちろん、語学学校の授業は後回しだ。学校などどうでもいい。日本からわざわざ友が来ているのに学校に行っている場合ではない。「友、遠方より来たる」。この言葉はこの時のために、まさにピッタリとあてはまる。本当にうれしくて信じられない気持ちだ。

 夜も更けてきた。部屋にはテレビもないのでいつも静かだった。二人きりで話していると日本にいるような錯覚を受け、「今、イタリアに本当にいるのだろうか?」と不思議な気持ちになった。ここフィレンツェに生活し始めてもう半年が過ぎていた。

フィレンツェ駅
 イタリアのテレビ、新聞で日本のことが報じられることはほとんどない。アメリカ、ヨーロッパ、ロシアのことが当然ながら多い。だから、いろいろと日本の話や身近な出来事を聞きたかった。本当に彼を待ちわびていた。それにしても、よくこの遠い遠いフィレンツェに来たものだと感心した。同時に彼のグローバルな見識の広さとその決断力のすばらしさに心からエールを送ったのは言うまでもない。

フィレンツェ駅での朝食
 アパートで「朝食」をと考えていた所、フィレンツェ中央駅で食べるのもいい思い出になると思い、早速、朝早くバスに乗る。地下鉄がないので公共の交通機関は当然バス通勤、通学になる。そして、すべてのバスは駅を通過するので朝のフィレンツェ駅は相当に混雑している。

 私達は東京の地下鉄並みのラッシュに遭遇しながら日本よりひと回り大きいバスで駅まで乗ることにした。深江さんも外国の通勤バスは初めての体験だろう?少し、勝手が違うので驚いている感じだ。右に回り、左に回り結構揺れる。そうするうちに約7分ぐらいで駅へ到着した。レストランは中央付近にあり、入口はいつも賑わっているのですぐわかる。

 パンの軽食や飲み物が多く、立ちテーブルとカウンターで食事をするようになっている。もちろんセルフサービスだ。深江さんと2人で朝食を取っていた所、ひとりの子供がうろうろしながらお客の間を行き来している。何かをねだっているみたいだ。小学生ぐらいだろうか?油断出来ない。

 ジプシー系の男の子のようだ。同時に幼い子のこんな場面に遭遇するたびに、考えさせられる。こうしていかなければ生きていけないあの子の将来は、どうなるのだろう?人は生まれながらに、どうしようもない宿命があるのだろうか?世の中の矛盾や、運命の法則を知りたいと思うのは私だけだろうか?自分達の国がない、自立することが出来ないジプシーは、本当に悲しい存在だと思う。

ウッツィツィ美術館の回廊
ウッフィツィ美術館でお茶
 世界最古で芸術の都フィレンツェの誇るウッフィツィ美術館へ朝一番に向かう。みんな楽しみにしていたのだろう足が軽やかだ。ドーモの裏通りを歩いて行くと朝の陽ざしが全身に射してくる。空を見上げると眩しいくらいの快晴だ。

 そうするうちに15〜20分ぐらいで到着した。外の回廊にはもうすでに何百人もの人達が並んでいた。世界各国から来ている観光客がほとんどだ。

 この日はイタリアの文化週間にあたり、国立の美術館、博物館の入館が無料だ。春と秋の年2回実施され、ここフィレンツェのウッフィツィ美術館も当然無料となる。予約した時、このことは全然知らなかった。この絶好のタイミングに遭遇したことはもう二度とないだろうと幸運の女神に感謝した。

 私達は案内所の女性係員に予約番号を告げ、入場券を貰うとすぐに予約専用の入口から入ることが出来た。するとどうだろう。バチカンもそうだったように、ここでも空港のゲート並に手荷物検査をしているではないか。あの9.11のテロ以来、監視員のチェックが厳しくなってしまった。一般の観光客にとっては本当に迷惑な話だ。

 この美術館は16世紀に完成しており、大小2,500点の展示品が並んでいる。しかし、1966年11月の大洪水には2メートルも浸水。ルネサンスの絵画8,000点が壊滅的被害を被ったそうだ。

ヴェッキオ橋
 私達は一気に3階へ上がり、たくさんの絵画から見ることにした。広い廊下には古代ローマ時代から中世に至る彫刻群が両サイドにギッシリと並んでいる。日本ではこれだけでも立派な美術館になるだろう。仕切られた部屋に入り、絵画鑑賞を開始する。

 展示室へ入るとルネサンス最盛期の絵画が見る人を圧倒する。ラファエロの「ひわの聖母」ボッティチェッリの「春」「ヴィナスの誕生」ダ・ヴィンチの「三賢王の礼拝」と世界でも有名な作品群がつづく。さすがにその場所にはたくさんの人だかりとなっている。

 2階へ下るとミケランジェロやダ・ヴィンチによるデッサン、版画が展示されている。それぞれ400年は経っている傑作だ。ゆっくり鑑賞したい気持ちを押さえて先を急ぐ。どうしても時間が気になってくる。

 少し、みんな疲れてきた様子なので屋上のカフェテラスで、カプチーノでも飲みながらくつろぐことにした。天気も良かったので外が本当に気持ちいい。すぐ目の前にはシニョリーア広場を見下ろすヴェッキオ宮が見える。後ろの方向には母なるアルノ川が流れている。遠くはピサまでつづいている。

 空を見上げると快晴の青い空。こんなすばらしい日はめったにないだろう。澄み切っているので遠くまで見える。時より吹くフィレンツェの心地よい風にみんな最高に気持ち良さそうだ。そして、たくさんの有名な絵画に接して、みんな言葉もないくらい感動している。何もかも忘れ、みんな今のこの瞬間を満喫している。

掲載日:2007年2月20日

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