TOP  INDEX  BACK  NEXT

高木さんのイタリア遊学記
ヴェローナのオペラ
ヴェローナ、アディジェ川からの風景
掲示板
 学校から「オペラ鑑賞の参加者受付中!」とチラシが掲示された。イタリアの北部ヴェローナで、毎年夏にかけて開催されるイタリア最大の野外劇場でのオペラ公演だ。演目は「アイーダ」。イタリア出身の作曲家、ヴェルディの最高傑作と言われ、大スペクタルの華麗かつ豪華な歌劇はエジプトが舞台となっている。

 学校の掲示板のまわりはいつも2〜3人しかいないのに、この日は生徒たちで賑わっている。私も一応「何だろう」とその掲示板を見ることにした。チラシを見て「ふ〜ん、オペラ?・・・と言うことはイタリアのオペラ?」といつもの癖でぼんやり見ていたら、同じ教室で勉強しているメキシコのロドリゲスが隣にやって来て「ヒロシ、ヴェローナのオペラ一緒に見に行く?」と聞いてきた。

 特に興味もなかったので「う〜ん」と中途半端な態度で私の視点は、廊下の方に移った。そして、傍にいるロドリゲスの顔をチラッと見ると何となく行きたそうな顔をしている。返事を保留し、急いで教室に戻る。ガイドブックを開いて驚いた。ヴェローナで開催される野外オペラのことが詳しく載っており、野外オペラのすごさが解説されていた。

 読んでいくうちに、「これは絶対見に行かなければいけない」と、だんだん思ってきた。自分の無知を恥じ、メキシコの学者タイプの青年ロドリゲスに感謝し、すぐに一緒に申し込みをした。先着順だったのですぐに定員の40名はいっぱいになってしまった。本当にいいタイミングだったと思う。

 私は今まで、オペラというものはテレビで少し見ただけで実際のところ、よく知らない。だから、本場のイタリアのオペラとは、どのようなものか全く見当もつかず、これから見に行こうとしている史上最大の音楽祭に、ただただ、すばらしい未知との遭遇を想像し、期待だけが大きく膨らんでいくのだった。

費用
 フィレンツェ駅からヴェローナまで大型バス1台で往復することになった。宿泊しないのでかなりの強行軍になりそうだ。市内観光とオペラ鑑賞(チケット付)。しかし、食事その他はもちろん自己負担。そして、案内等はすべて先生の役目になっている。費用は全部で60ユーロ(約9,000円)だ。

出発
 7月3日、朝からいい天気だった。日曜日でもあったので辺りはいちだんと静かで、落ち着いた雰囲気がする。前日にヴェローナの話をしていたので早速、身支度を終え、自転車を玄関に出していたら、大家さんの娘さんが見送りに出て来た。

ヴェローナ、アレーナ前の観光客
 彼女と目を合わせ、あいさつをした。「今からヴェローナのオペラを見に行ってきます。明日の朝、5時過ぎに帰ってきます。朝食は要ります」。と身振り、手ぶりで分かってもらうように話す。

 彼女もなんとか理解したのか「すばらしいわ!ヒロシ、あなたはいいわね。私はまだ、ヴェローナのオペラを見たことがないの。行きたいわ!」と言っている。当たり前の会話だが、私には速くてあっと言う間だ。しかし、確かにそう言っているように聞こえた。

 私は笑顔で「行きたければ勝手に行けば!」と日本のテレビドラマ風に少し、さめた日本語でそれも言葉と裏腹に応えた。一度、この感じの言葉を言ってみたかった。その辺の雰囲気のおもしろさは当人しか分からないだろう。

 この小バカにした日本語の言葉使いは本当に相手に失礼だった。それも外国人に。しかし、イタリア語の日常会話において、まず、相手の言ったことを理解していなければこの言葉は絶対に出てこない。だから、私にとっては、会話の理解度を確認するうえでも重要な証となっていた。

 彼女は気を良くして、ますます話しかけてきた。「ヒロシ、この自転車はどこに駐車するの?」「鍵を掛けるのを忘れないでね」「わかった。ヒロシ〜?」。「大丈夫。大丈夫。だれがこのオンボロの自転車、盗るか!そんな物好きはいない!」。私は心の中で呟いた。しかし、よく考えてみると、ここは泥棒の国イタリアだ。彼女の言っているとおりかも知れない。真剣に注意しなければいけないと思ってきた。

応対
 私は適当に単語を並べた。この場合、文法のしくみは無視している。「この自転車はフィレンツェ駅に駐車する。必ず鍵をする。だから、大丈夫」。だんだん疲れてきた。彼女はまだ何か言っている。もう喋りたくない。私はもう出発しなければ間に合わない。多分、ここから駅まで30分はかかるだろう?ああ〜急がなくては!彼女はまだ何か言っているようだ。私は完全に無視し、「チャオ〜サラ!」と笑顔で手を振り、自転車にまたがる。そして、スティ先を急いで後にした。

 天気も良いし、自転車で走る風が気持ち良い。赤い色した古ぼけたビィッチックレッタ(イタリア語)は順調に走る。私のペタルを踏む力はかなりのものだったので、サラの自転車は「こんなにスピード出したの初めてだよ。おもしろくなってきた。変速機もあるからどんどん使っていいよ!」。と言っているように聞こえてきた。

 日本サッカー界のエース、中田ヒデが最初に活躍したここフィレンツェ。地元のチーム、フィオレンティーナのサッカー競技場を通り過ぎる。イタリア鉄道をまたいでいる高架を走り、街中に入る。混みだしてきた。このままバス通りの道を行くと時間がかかり過ぎて間に合わないかも知れない?

近道
 こちらに来てもう3ヶ月が経とうしていた。およその通りの大小の道は覚えている。冒険と思っだが、近道をすることに決断した。何とかなるだろうと頭の中で最短の近道を組み立てながら走る。アバウト的な発想はいつものことながら本当に計画性がない。どうしようもない性格だ。よく、これまで生きて来たものと思っている。

アレーナ・ディ・ヴェローナ
(古代ローマ時代の円形競技場)
 サンマルコ美術館からドォーモを抜ける道は、分かりやすく、そして、確実に駅までたどり着くだろう。しかし、この場合、時間がかかり過ぎて、適当ではない。「そうだ、一方通行である中央市場の裏通りをまっすぐに西の方に行き、公園を過ぎるとすぐにフィレンツェ駅だ」。これ以上の最短の距離はない。すばらしい考えだ。よく気がついたと自分で納得する。

最高速度
 「よし、この道路しかない」。全身に力が出てきた。赤い自転車は変速機をガラガラ言わせながら、飛行機でいえば空中分解の手前ぐらいの最高巡航速度を維持して走っている。赤い自転車にも意地があるのだろう。私に喋りかけてきた。「ヒロシ、まだまだこれ位の走り、どおってことはないよ。もっとスピード上げても大丈夫さ!」かなり、声が息切れしている。しかし、その声は自分でも信じられないくらい最高の走りをしている嬉しさと感動に溢れていた。

 今までのサラ(大家さんの娘さん)のチントロした走り(あくまで推測なので失礼と少し思っている)とは全然見違えた、生き生きした疾風のごとく走る姿は、同類の自転車仲間もびっくりしたに違いない。外観は相当に古いけど、動き出すと輝きが出てきた。なかなかのものだ。

 自転車の環境はヨーロッパ全体がそうであるように「なによりも自然でヒューマン的な乗り物である」と言う思想が浸透している。イタリアも例外ではない。そして、そのせいか街中を悠々と走っている。市民レベルのレースも結構多い。日本と違って車も少ないので走りやすい面もあるのだろう。

 サラの自転車はすばらしい走りをしてくれた。お陰で思ったより10分は短縮し、駅へ到着出来た。まだ熱さが残る車輪に鎖をかけ、ねぎらいの言葉を日本語でかける。

フィレンツェ中央駅到着
 すでに集合場所であるフィレンツェ中央駅入口の薬局の前には人だかりがしていた。受付を済まし、バスに乗り込むとロドリゲスはもう来ていた。「こっち、こっち」と手を振っている。そして、私のために窓側の席を空けていてくれた。彼の思いやりにはいつも感謝していた。また、勉強する姿勢も凛としたものがあり、私はそういう彼が好きだった。

アレーナ・ディ・ヴェローナ前の大道具
ヴェローナ到着
 バスは4時間ぐらいでヴェローナに到着し、早速、みんな一緒に市内観光に出掛ける。いい天気なので本当に気持ち良い。マッツィーニ通りの繁華街を眺めながら、エルベ広場に到着。建物の反対にはシニョーリ広場があり、何か落ち着いた雰囲気がする。

 あのロメオとジュリエットで有名な家も見学した。観光客が多くて混雑している。みんなバルコニーのある2階に向かっているが私はあまり興味がない。隣の家では地元の絵画展があっていたので覗いてみた。なかなか色彩が鮮やかできれいだ。不思議とこちらの方が印象に残っている。

 アディジェ川沿いに歩いていくと、カステルヴェッキオの雄大な城が見えてきた。14世紀に築城されており、現在市立美術館になっている。その城から向こう岸まで橋が架かっており、れんが色したきれいなスカリジェロ橋だ。途中まで歩いてヴェローナの街をアディジェ川から眺めた。

 イタリアの多くの街がそうであるように、何百年も変わっていない中世そのままの街の風景が何と多いことか。小さいながらも独立した共和国として、独自の文化をつくってきた古い石造りの建物と大きな街路樹がよく似合う。日本でも古い民家がある所には大きな杉の木があるのと似ている。

アレーナ
 世界各国から大勢の観光客が集まっている。広くて、緑豊かなプラ広場は観光客の絶好の憩いの場所になっている。お目当てはすぐ目の前のアレーナ(円形劇場)でまもなく始まる歌劇「アイーダ」だ。この大きな野外劇場アレーナは紀元1世紀のローマ帝国時代に造られている。ほぼ完全な形で残っており、イタリアはもちろん、世界でも大変貴重な建築物と言える。

 プラ広場の中央には野外劇場で使われる大道具の出し物が展示されている。その前で上品そうなドイツのご婦人にカメラを渡し、記念写真をお願いした。馴れているのかもっと、中央に寄りなさいと指示している。「ハイ、ハイわかりました」。素直に応じる。終わると「私も撮ってくれる」と笑顔でお願いされる。気さくな人だ。もちろん喜んで撮ってあげた。

チケット
 先生から切符をもらい、4〜5等席の自由席を確認する。料金は確か16ユーロぐらいだったと記憶している。1等席は舞台のすぐ前。2等席はそのうしろの席。3等席はその回りの席。いずれもイス席となっており、すべて指定席だ。4〜5等席は外野の階段の席。野球で言えば、内野から外野にかけて自由席となる。だから、いい場所に行くには並んで、速く席を確保することになる。石に直接座ることになるので貸し座ぶとんもある。

豪華な舞台と大コーラス陣
満員の観客
 アレーナの前にはたくさんの人が並んでいる。私のチケットは4〜5等席の自由席なので速いほどいい席に座れる。ちなみにこの最低レベルの座席も3つに区分されており、舞台に対して正面がDとE席、少し、ヨコにずれて45度の角度の席がCとF席、さらにヨコにずれて30度の角度の席がBとG席と細かく設定されている。料金は各21,19,10ユーロ。金、土曜は各2ユーロ増しとなっている。当日は日曜日だったのでC席の19ユーロだった。

 開演は21時だったが1時間前にはもう石の階段に座っていた。20時とは言え、まだまだ、こちらの空は明るい。速かったので少し、D席側寄りのいい席に座れた。隣はドイツ人の観光客のようだ。ドイツ語は全然わからないので笑顔で挨拶する。すでに2万人ぐらいは入場しているらしい。場内の案内はイタリア語、英語、ドイツ語の3ヶ国語が放送されている。フランス語はされていない。

 開演前になると、さすがに暗くなってきた。入場する時にもらった1本の小さなキャンドルに「灯をともして下さい」。と場内放送があっている。私はわからなかったが観客がみんなそうしているのでそれとなくわかった。陽が落ちて暗くなったアレーナの会場全体に灯がともる。人口照明と違った7月の夜風に揺らぐキャンドルの灯が何と暖かく、幻想的で美しいことか!

ヴェルディ
 オペラ「アイーダ」は1872年に初演され、ヴェルディ(1813〜1901)50歳後半の作品だ。彼はイタリア北部パルマの近郊で宿屋兼食料品店の息子で生まれている。苦学しながらミラノに留学するが音楽院の入学試験に不合格。その後は幼い長男をなくし、翌年は長女が亡くなります。さらに最愛の妻「マルゲリータ」が27歳の若さで帰らぬ人となり、これ以上の不幸がないほどの不運が彼を襲う。その時の彼の気持ちは想像を絶するものがあり、言葉を失う。

 それから悲しみを乗り越え、作曲した有名な歌劇「ナブッコ」。イタリア国民にこれほど愛され、歌いつづけられている曲はないと言われている。歌詞を紹介すると「行け金色の翼に乗って 行けおまえは山に丘に憩い そこでは暖かく柔らかい 祖国の甘いそよ風が薫っている」 あまりにも有名なこの歌はヴェルディがいかにイタリアの国民に愛され、人気があるかわかる。

 「アイーダ」はエチオピア王の娘の名前だ。エジプトが舞台となっており、若き将軍ラダメスはエチオピアに勝利し、エジプトの王女の婿に決まる。しかし、ラダメスはアイーダを愛している。その後、エジプトの情報を漏らした罪で裁判にかけられ、死刑を宣告される。アイーダは故郷から戻り、ラダメスと共に墓に入り、一緒に死ぬのであった。

演出
 古代エジプトを再現した大掛かりな神殿のセット、豪華で格調高い儀式の演出、きらびやかな美しい色彩のエジプトの衣装。迫力ある独唱、重唱、アレーナ全体に響き渡る大コーラス。舞台下のオーケストラの生演奏もすばらしい。生まれて初めて体験するこの以上は考えられない臨場感。感動、感動の連続で本当に体に震えが来た。

掲載日:2007年3月26日

TOP  INDEX  BACK  NEXT