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聞いた言葉・第200回目、運命は自ら切り開くもの

 

運命は自ら切り開くもの

  今回の言葉は、映画『ボーン・コレクター』(The Bone Collector、1999年のアメリカ映画)からです。ただし、この言葉自体は、日本語訳の意訳(原文の一語一語にとらわれず、全体の意味やニュアンスをくみとって翻訳すること。国語辞典の大辞泉より)のようなので、その点はあらかじめご了承願います。 また、この件の詳細は、後で書きます。なお、私は原作を読んでいないので、今回の言葉通りか確かめていません。(このページ掲載写真はブルーレイディスク盤)  

 映画の主役は、優秀な犯罪捜査官のリンカーン・ライム役のデンゼル・ワシントンと、若い女性警官のアメリア・ドナヒュー役のアンジェリーナ・ジョリーです。 この二人、私の個人的な感想ながら何の役柄もこなされる俳優・女優さんだなあと思っています。また、いつもながらですが、このページは映画紹介ではないので、内容の詳細書きませんが、ヤフー映画紹介によりますと、次の<>内の解説がしてあります。

 <『ボーン・コレクター』=事故によって全身麻痺となってしまった元刑事・ライムは、市民をタクシーに乗せて連れ去り、残虐に殺害している犯罪者からの挑戦を受ける。ライムが捜査のパートナーに選んだのは、若き女性刑事アメリア。彼女の行動力とライムの頭脳で、二人は古書「ボーン・コレクター」をなぞって犯罪を繰り返す真犯人を追い詰める。ヒーローがベッドに寝たきりという、珍しい刑事アクション。A・ジョリーのブレイクのきっかけともなった一作だ。>

 そして、今回の言葉は、映画中盤(1時間数分後)に犯罪捜査官役のデンゼル・ワシントンが、若い女性警官役のアンジェリーナ・ジョリーに諭す言葉として出てきます。実際の画面での日本語字幕「運命は自分が切り開くってことさ」と表示されています。 英語字幕は、「My point is what you make it.」となっていたようです。このセリフには、日本語の「運命」にあたる英語の「fate」はなかったようです。ですから、このセリフの英語だけを抜書きすれば、今回の言葉の直訳ではなく、全体発言の流れから訳された意訳と、私は思っています。

 ただし、英語が全く出来ない私が、このセリフの解釈を評価するのは怪しいことかもしれませんが、会話全体の流れでは実に適訳と感じました。 映画の字幕は、画面表示の長さ制限や内容の展開上の制限など様々な制約があるようなので、その点を考慮すれば、先の日本語訳は、なかなか良い表現ではないでしょうか。

 あと、デンゼル・ワシントン(犯罪捜査官=ライム)が、アンジェリーナ・ジョリー(若い女性警官=ドナヒュー)に何故、今回の言葉をいったかという点です。ドナヒューの父親がニューヨーク市警」の警察官ながら、拳銃で自殺した。そのようなことも要因で、青少年課(デスクワークの仕事)を希望して、今はそこで働いていました。

 しかし、ライムは、「君は逮捕件数も高く、評価も高くて優秀だ。その君が、(現場第一線の警官ではなく)何故、青少年課を希望したのか?」 などのやり取りの後、今回の言葉が話されます。 「父親と君とは違う。親の運命と君の人生は別だ。君ならば必ず優秀な刑事になれる。君には才能がある、それを捨てるな」と言って励まします。そして、その後、若い女性警官=ドナヒューは、大活躍します。

(国語辞典の大辞泉の解説より )運命= 1 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。また、その力によってめぐってくる幸、不幸のめぐりあわせ。運。「運命のなせる業」「運命をたどる」 2 将来の成り行き。今後どのようになるかということ。

 話は、本題に戻りますが、今回の言葉に「運命(上記の国語辞典参照)とか、「自ら切り開く」とか出てきますので、私には無縁のような響きもあります。いつも、ミスばかりで土壇場で場当たり的対応で、なんとか60有余年過ごした者なので、仕事上で、「運命」とか「自ら切り開く」とかはなかったです。

 ただし、失業時代も度重なった私に対して、多くの方々に助けて頂いたのは事実です。そのようなことから、通常ならば「運命」などの言葉が出れば、かなり重々しいことになりますが、私の場合、それは馴染まない言葉のように思えます。 私は、聞いた言葉・第50回目、『人は生きるだけでも大事業』でも書いていますが、 この見出しの通り、人は、ただ普通に生きるだけでも、なかなか大変なことです。そのような中、仕事上でも自らの才能を発揮して、様々な分野で活躍されている人を見ますと、「自分では出来ないなあ」と思いつつも、ある種の羨望(せんぼう)のまなざしで見てはいました。

 今回の言葉「運命は自ら切り開くもの」で、最も大事なのは「自ら」ではないでしょうか。それと同時に、誰かの後押し(周囲の状況など)もあれば、もっとチャンスがあるのかもしれません。上記に紹介中の映画(犯罪捜査)とは全く別分野の話題ですが、私は今回の言葉を知って、あの有名なスーザン・ボイルさんと、お母さんの言葉も思い出しました。詳細書きませんが、全く無名のボイルさんが、「大勢の前で歌ってみたい」との夢があり、当時介護していたお母さんから「挑戦してみなさい」と、生前励ましてもらっていたそうです。

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 そして、2009年4月、数千人を前にステージで歌われました。それが、瞬く間にテレビ、インターネットの動画サイトによって世界中で有名になられ、CDデビューや日本にも来られ大注目を浴びておられました。私は、同時に本当に「何がヒットするか分からない時代」とも思えました。これらの状況になったのは、当然のことながらボイルさん「自ら」の意欲と、お母さんの言われた「挑戦してみなさい」を実行されたからではないでしょうか。

 仕事上で「運命は自ら切り開くもの」と口では簡単に言えても、その行動となると、「自ら」だけでなく、会社内(職場内、同僚間)あるいは家族その他、考慮すべきことは山ほどあるのかもしれません。ただ、「挑戦しなくて悔やむより」、「挑戦した結果、それで失敗して泣く」方が、まだ何かサバサバした感じになるのではないでしょうか。そして、「また、次も違う分野にもチャレンジするぞ!」とのファイトも湧くと思うのですが。


(記:2015年10月11日)

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