聞いた言葉・第233回目、テレビ局による「紙芝居」記者会見
テレビ局による「紙芝居」記者会見 今回の聞いた言葉シリーズの言葉(上記の標題)は、次の「紙芝居」記者会見の模様からです。 2025年1月17日、フジテレビの港浩一社長(72)ら幹部が、同局で臨時の定例会見を開催されました。それは、テレビカメラの撮影は、許可されず、またフリー記者なども排除されました。そして、その会見の模様がテレビ局とは思えない静止画像ばかりだったと聞きました。しかし、その会見は、猛反発を呼び同時進行もしくは、その直後から沢山のユーチューブなどによって、「本来、テレビ(動画)が仕事なのに、まるで紙芝居のような記者会見だった」と流されていました。 先の言葉に重ねるように「社長は早くから問題を知っていたにも関わらず、加害者の芸能人を新番組含めて問題発生後も長く出演させていた」「同局の女性アナウンサーを、長年まるで酒席の接待役みたいにして使っていた」など、芸能人の問題ばかりではなく、マスメディアの会社幹部として非常識そのものとの話が多く流されていました。ここで、次の〈用語解説〉を閲覧願います。
<用語解説>---テレビ=テレビジョン(television)とは動く画像を電気信号に変えて離れた地点に送り、それを映像に再現する通信方式。また、その受像機。テレビ。(デジタル大辞泉より) 先の<用語解説>通り、テレビは本来、「動く画像を電気信号に変えて」放送するのが当然です。動かない「紙芝居」を放送するのは、私のような素人でも、テレビ局の社長などが、そうするのは自ら何か悪事や問題を隠すためにしていると思うのが、当然でしょう。 次に、お時間があれば既に私が掲載中の関係するリンク先「電波は国民共有の財産」 「報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」 「メディアの取材現場は変わらないし、役割が強くなる」 「この世の中で最も重要なものは情報だ。」などを閲覧願います。 上記を極簡単にまとめ直しますと、次のようなことではないでしょうか。電波という国民共有の財産を使って放送する会社の経営者は、どんなに財政力や権力があっても、法律、モラル、節度を持って経営・社員・協力会社などへ望まなけれならない責務があるということです。そして、国民を裏切って裏金、キックバック、脱税する国会議員と似たような信用失墜行為をすれば結果、国民やメディアの収入源であるCM費用を出してくださる会社の信頼、信用を無くし、倒産危機までになってしまうのでしょう。 あと、ジャニー喜多川問題時のイギリスBBC放送と同じように、今回のフジテレビ問題も「物言う株主」とも言われている外国の投資家からの提議や追求の存在も目立ちます。何故、国内の自社や他社メディアが本来あるべきジャーナリストとしての機能が遅く、外国から取り上げで、やっと動き出すのでしょうか? これは、日本人特有あるいは企業内体質もあるような気がしてきます。 例えば、極端とも思える行政や権力に弱い国内メディア体質、何か問題を起こした企業や人には激しく説明責任や解決を迫るメディアは、自社や他社メディアが引き起こした問題は何も語らずに逃げるような常習性体質、天下り役人の受け入れで、その役目は(お客様扱いのためか)社内で不正があっても見て見ぬふりで直す気さえ無い、本来ならば経営をチェックすべき役割もある社外重役、法令を守れというべき企業内の弁護士、労働組合なども初期には問題提起の動きさえないです。 また、国民や会社員内においては、違った意見を言うより「作られた空気」<空気で作られた「真実」と「正義」>内に黙っている方が、波風立てずに過ごしやすいと言う体質もあるでしょう。さらには、問題発覚しても「まだ大丈夫だろう」 「自分が担当している間は黙っておこう」と言う問題先送り体質もあるかもしれません。 しかし、誰でもが、問題当初ならば波風たっても解決可能と思うでしょう。しかし、長期間、国民に隠す、問題先送り、裏切る企業風土が続けば、とどのつまりは、破局的な場面にもなった事例や場合も過去からもあるでしょう。 もう直ぐ後期高齢者にもなろうとの年代に差し掛かっても、失敗続きの私です。ですから、何か解決の妙薬などの特効薬は、分かりません。ただし、日本には古くから「初心忘るべからず」と言う諫めと導きの言葉もあります。今回登場の放送局の方々でも、最初から視聴者を裏切るために入社した人は、皆無でしょう。むしろ、どの新入社員の方でも、良い番組作りや視聴者に喜んでもらえる放送を心がけ、そして国民、視聴者に役に立ちたいとの抱負だったと思います。 しかし、今回の問題は、第一義として電波という国民共有の財産を預かって経営している責任があるという再認識からでしょう。そして、「物言えば唇寂し秋の風」ごとく、「作られた空気」<空気で作られた「真実」と「正義」>内に黙っている方が、波風立てずに過ごしやすいと言う企業体質があるとすれば、それを改めていかない限り、仮に局面は乗り切っても、長期には再発生するのではないでしょうか。 メディアは、全部が上記の事柄ばかりではありません。ここで、上野の個人的なことながら、私が大村の郷土史や水害などを紹介した内容を、次の「報道実績」ページの通り、長崎県内全社の新聞やテレビ局に取り上げて頂きました。その取材場所は、100パーセント近く、大村市内の現場でした。つまり、地べた這うような手間暇かかる調査報道です。 このようなことをされる地方のメディアの方々は、真面目かつ地道で熱心な方ばかりでした。また、この方々は、「良い記事を書きたい」「視聴者に良い番組を見てもらおう」との熱き心意気さえも毎回感じていました。そして、その視線の先には、多くの読者や視聴者が見えておられたのでしょう。冒頭のテレビ局幹部達による「紙芝居」記者会見と、真逆で雲泥の差です。 人間ゆえに誰でも、ミスもあれば問題も発生するでしょう。しかし、先に挙げた真面目で必死に奮闘されているマスメディアの社員さん達がいる限り、必ずや今後も信頼回復は可能とも思われます。 |
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