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聞いた言葉・第91回目、『通信=信を通わせる』

 

通信=信(よしみ)を通わせる

 この通信という言葉の語源は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると次の< >内通り書いてありました。 漢字起源の "通信" :通い合って(通じて)信頼を深める(信(よしみ)を通わす) 英語:communication = ラテン語:communis ( common, public, 共通の)+ munitare(舗装する, 通行可能にする)  

 さらに英語の「コミュニケーション」を国語辞典の大辞泉で調べると「社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。」と書いてありました。つまり、通信とは、人同士お互いの意志や感情を伝達し合って信頼を通わせる=信(よしみ)を通わせる意味だと思えます。

 この通信の言葉で思い出されるのが、”朝鮮通信使”のことです。この使節は、室町時代に始まりました。ただし、戦国時代に中断し、豊臣秀吉の朝鮮戦争(文禄・慶長の役)から日朝関係は最悪の状態でした。

 しかし、様々な経過をたどって二代将軍徳川秀忠の時に朝鮮通信使は復活します。その後、江戸時代通じて両国お互いに10数回使節を派遣し合ったと言われています。なお、このことについてはNHKのサイト『その時歴史は動いた』の「第310回 対馬藩・決死の国書すり替え 〜朝鮮通信使秘話〜 」に詳細に掲載されていますので、ご覧くださらないでしょうか。

 また、上記のページには「江戸時代12回にわたって訪日し、日朝が対等で互いに礼を尽くした国王使節・朝鮮通信使、その再開のきっかけとなった対馬・宗義智の講和実現への道のりを描く。」とも書いてあります。

 封建時代の室町・江戸時代の頃にあっても、お互いに礼を尽くし、対等で平和な関係を信を通じることにより築いていたと言うことです。明治時代に入り、どうなっていったかは、もう皆様ご存知の通りです。

 現在は、人同士や国家間でも何かを伝えたい手段としては(通信事業法で言う通信とは違う分野も含めて)電話、ファックス、無線機、ラジオ、テレビ、インターネット、手紙や葉書など沢山あります。また、やろうと思えば例えばエベレスト山頂でも南極大陸でも、衛星通信など使えばできるでしょうから地形や空間を越えて全世界を相手に可能性としてはあります。また、文字情報だけでなく写真でも動画でも通信環境さええ整っていれば送受信できます。

 このような便利な時代になっても、なぜ人同士の、さらには国家間の争いは無くならないのでしょうか。結局は通信の手段や方法がどんなに整っていても、その語源の肝心かなめの「信(よしみ)」が通っていないからだと思います。信を通わせるための回数や時間を増やせば何でも直ぐに諸問題が解決するものではないかもしれません。でも、それを止めてしまって相手が「ミサイル1発持ったから、こちらも10発」「相手が100発持ったから、こちらは核兵器だ」みたいなことをいくらやっても際限がなく、かえって解決不可能になるかもしれません。

 その一番いい例がイラク戦争だと思います。私はこの「聞いた言葉」シリーズ第68回目『自分で真実を探す時代』に、この戦争におけるアメリカの大義名分だった「大量破壊兵器」や「9・11テロ」との関係、その後の議会証言あるいは日本政府やマスコミの追従姿勢のことを書いています。この戦争は、まだ途中ではありますがイラク国民のためにも世界のためにもなっていないことは、もう明らかです。

 世界で最も通信手段の先頭をゆくようなアメリカや日本の政府あるいはマスコミが、その通信を用いて国民のためでなく、逆の側面に使い間違った世論誘導したのではないかと思われて仕方がない事例だと思います。とりわけ日本のマスコミが「ペンは剣より強し」と言う考えで、なぜ世界に冠たる通信・報道手段を国民の立場にたって用いなかったのか、残念です。
 
 先に室町・江戸時代のことを少し書きましたが、この当時だって様々な問題その他あったと思います。しかし、今みたいな便利な手段はなくても、まるで語源の見本のような「信を通わせる」努力を先人たちは必死にされたのだと考えられます。また、世界各国でも、このような例は多くあるとも思えます。

 昔の方ができて現代人には、その知恵も努力もないのでしょうか、私はそう考えたくありません。本当に通信の技術だけが進むだけでなく、同時進行で通信の語源(信を通わせる)そのものも、お互いのものになればなあと思っています。


(記:2008年1月1日)

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