注:私は鷺(サギ)の種類が分かっていませんので、便宜上このページ「白鷺」、「白サギ」と呼称しています。
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(27)郡川の本城堰の白鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(26)石走川の白鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(25)佐奈河内川の白鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(24)赤仁田堤の白鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(23)鈴田川の白鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(22)石走川の青鷺その2 | ここから、ご覧下さい。 |
(21)石走川の青鷺 | ここから、ご覧下さい。 |
(28)石走川の白鷺 |
2022年10月28日撮影 |
![]() この日、晴れの良い天気でした。私は、母校でもある福重小学校5年生の稲刈り撮影に行ってました。(この詳細は「2022年、福重小学校5年生の稲刈り(概要報告)ページから参照) この時、どちらからか数羽の白鷺が、田んぼ横の石走川(よし川)に泳いでいる魚目当てに舞い降りてきました。そして、車が石走川の堤防(農道=上記写真の中央部)を走ったためか、直ぐに飛び立ちました、その時、2羽の白鷺を写したのが、今回の写真です。実は、あと1羽いたと思いましたが、この写真内には写っていないです。 私の60年前頃、この周辺は現在のように整備された水田ではなく、牟田田(むただ)でレンコン(蓮根)が栽培されてました。そのような湿地帯みたいな所だったので、ドジョーなどを狙った白鷺が何十羽と上空を舞っていたのを毎年見ていました。その頃と比べ、今は白鷺の数が激減しました。今後できれば野鳥のたくましさを発揮して、当時と同じ位に増え、ずっと美しい姿を見せて欲しいとも思いました。 |
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(27)郡川の本城堰の白鷺 |
2020年8月5日撮影 |
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この郡川の本城堰がある所は、大村市寿古町と沖田町の間にある井堰(いせき=「水を他に引くため、川水をせきとめた所」広辞苑より)です。この堰の詳細は「本庄渕(本城渕、ほんじょう ふち)=本城堰(ほんじょう せき)<郡川にある堰と渕の一つ>」から、参照願います。この本城堰は、大村市内でも長崎県内でも、かなり広くて大きな井堰です。 そのため、本城堰紹介ページに掲載中の全景をご覧になれば、お分かりの通り、この井堰の水量が少ない場合、その周囲の河川敷も広いです。このような井堰と河川敷が広いということは、この近くの浅瀬に小魚も多いということでしょう。 そのことを良く知っているのは、野生の白鷺です。上記写真では、左側に大小の石が見えていますが、この場所の上流側周辺は、水量が少なければ河川敷となります。そして、白鷺のいる所は、浅瀬です。上記写真の白鷺は、この周辺に泳いでくる魚をずっと狙っていました。 今回の写真は、その時、写した1枚をトリミングしたものです。天気の良い日でしたので水面(みなも)に、まるで波のある鏡のように白い羽が写っています。私は、しばらく、この白鷺を見ていましたが、魚をとらえることができず、この場所から反対側へ飛び立っていきました。 |
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(26)石走川の白鷺 |
2019年10月30日撮影 |
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この撮影日の10時前から福重小学校5年生の稲刈りがあるため、私は、08時30分頃には、その田んぼ周辺に来ていました。(町名は大村市皆同町) この場所は、私が作成・管理しています『福重ホームページ』で紹介しています「石走川(いしばしりがわ)、別名:「よし川」とも言われている」の真横(左岸)の田んぼです。 5年生が小学校から来るまで少し時間があったので、先の「石走川(いしばしりがわ)」で泳いでいる鯉(こい)や小魚を見ていたところ、50m下流側に今回の白鷺(しらさぎ)がいるのを見つけました。警戒心の強い鳥ですので、川の土手(農道)をゆっくり、ひっそりと近づき、ズームレンズ一杯気味に伸ばして数枚撮りました。 この白鷺のいる場所は、上記写真通り、川の中にできた堆積物の前です。どうも、川の中にいる小魚を狙っているようでした。もっと、川の中央部にいるような感じで撮りたかったのですが、「お前みたいな素人カメラマンの注文は聞かないぞ」とばかりに、白鷺は、あまり動いてくれませんでした。 あと、蛇足ながら、この福重小学校からも遠くな位置にある「石走川(いしばしりがわ)」左岸周辺は、低地で私が同校に通学する頃は、レンコン畑もありました。また、野鳥の餌(えさ)になる小魚も川や田んぼに多かったのか、それはそれは白鷺も数十羽いました。しかし、何十年か前からか、本当に減ってしまって、今では数羽見れば多い感じになってしまいました。 |
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(25)佐奈河内川の白鷺 |
2018年3月9日撮影 |
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この白鷺がいる川について、私が作成・管理しています『福重ホームページ』の「佐奈河内川(さながわちがわ)」ページで紹介しています。この川は、長さ2.924kmありますが、今回この写真を撮った地点は、ほぼ中流域で町名は大村市今富町です。また、白鷺がいる場所は、井堰(いせき=川の水をせき止める場所)のある上流側で、いつも水が溜まっている所でもあります。 この日、私は、先の川沿いにある市道を車で走行していましたら、車窓の下側に白い鳥が急に見えてきました。通り過ぎた後、慌ててUターンして、いつも車に積んでいますコンパクト・デジタルカメラを取り出しました。そして、望遠位置にプリセットしてから窓を開け、車でゆっくり近づいたのですが、一回目は上流側へ逃げられました。 さらに、静かに近づいて、今度はかなり遠くから撮ったのが、上記の写真です。もっと良い角度で近づいて撮りたかったのですが、下手な横好き素人カメラマンに対しても警戒心が強いため、これ以上は無理でした。 |
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2013年10月7日撮影 |
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この赤仁田堤(溜池)は、私が作成・管理しています『福重ホームページ』の「赤仁田堤」ページに所在地や堤の歴史含めて詳細に掲載中です。例年、この堤は、春夏秋冬いつも満水状態です。ただし、今年(2013年)の夏は、大村市内全体で降雨が少なかった状態もあったのか、市は渇水対策本部まで一時期設置していました。 そのような状況もあり、満水状態から上記写真で見る通り、水位が下がり、日頃見慣れない底面も一部見えていました。ただし、これでも満水時対比で半分以上あるいは3分の2近く水位はありましたので、稲作に影響はありませんでした。 上記の状況から水中の小魚か、柔らかい底面にいる虫などを狙って白鷺が飛来し、餌(えさ)を歩きながら探しているようでした。私は、車走行中でしたが、慌てて駐車しカメラを構えて数枚撮りました。車中から隠れて撮っても、野鳥ですから警戒心が強く、上記の白鷺は短時間で撮りにく位置まで歩き去りました。 私の見ていた時間は、30秒間あったか、なかった位でしたが、その間は餌は獲れなかったようでした。それにしても、人が見た目は白鷺は綺麗に見えますが、「餌取り姿にしては目立ってしまって困るだろうな」と思いながら、また車を走らせました。 |
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この鈴田川(約6km)は、どちらかと言いますと大村市内南部側を流れる川です。市内北部に河口のある郡川(約16km)に比べたら距離は短いですが、チャンスさえあれば野鳥もけっこう見られる川です。私は、この撮影した当日は、郷土史の関係で鈴田地区の石仏調査をしていました。 たまたま、鈴田小学校の裏付近、川沿いの道路を車で走っていたところ、白鷺の姿が見えました。「へえー、こんな所にも来ているのか?」、「これは、チャンスだあ」と思いながらも、後部座席に置いたカメラバッグが、なかなか取り出せず、かといってドアを開けたら逃げられると思い、少しイライラしていました。 そっと息をひそめながら窓ガラスを少し開けて5枚ほど撮った一枚が、上記の写真で白い翼や胴体が川面に映っています。この白鷺は、じーっと川の方を見てはいましたが、何かエサになるような川魚などを狙っているような感じには見えませんでした。 至らぬお節介ながら、「白い姿は綺麗でも、川にこれだけ写っていたら魚も近寄って来ないだろう」と思っていました。白鷺の方も、「そんなこと下手な素人カメラマンのお前に言われなくても、分かっているワイ」と返事したのか、数分もしない内に、また、上流側へ飛んでいきました。 今まで白鷺が川魚を捕った写真は、「(14)魚を食べる白鷺」、「(16)小魚を咥える白鷺」と掲載中ですが、いつもいつも簡単に餌を口に出来る訳ではないようです。これからもずっと白鷺も住めるような自然豊かで綺麗な川だったらなあと思っています。 |
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この写真は、下記「(21)石走川の青鷺」の直後に撮ったものです。この川の中に来る以前から何かエサになるものを見つけていたのでしょう。スルスルと言う感じで上記撮影地点まで近づいてきました。ただし、この時は、餌は捕れずに結局どこかに飛んで行ってしまいました。 私は、白鷺(シラサギ)や青鷺自体は、けっこう今まで見ていますが、小魚などの餌を捕ったり、食べたりしているシーンは数える位の枚数しかありません。(一例として「(14)魚を食べる白鷺」、「(16)小魚を咥える白鷺」をご覧下さい)人間が見ている前で、しょうっちゅう餌取りが成功してばかりではないようです。ただ、私が見た範囲内ですが、小魚を捕ったり、食べたりの時間は、けっこう速かった感じがしました。 私は、鷺の生態が全く分かっていませんが、体が他の小鳥と比べ明らかに大きいので食べる量もそれなりに沢山ないと体を維持できないのかもしれません。様々なことから環境の変化により、その餌のある状態も現代では少なくなってきているのでしょう。私が子どもの頃と比較しても鷺の数が減っています。 鷺だけではなく多くの野鳥が住めない環境になっても「人間だけでは住めて長生きできる」のでしょうか。大昔から日本人は自然を敬い(うやまい)親しみ、ある意味、自然界の野鳥も動物も人間も同じ生きる家族・仲間みたいにして営々と暮らしてきました。 そのバランスを壊し始めたのは、いつ何十年か前みたいなもので、人の歴史からすれば瞬きもならない期間で新しい出来事と思われます。地球環境や風景まで変えてしまうような自然の大規模開発事業は、人の特権・優先事項だから何でも出来ると言うのでしょうか。その中には、無駄な公共事業も多いです。 そのような大型事業開発をマダマダ続けて、既に野鳥や動物が住めなくなるようにしていても「人だけは無事に生きれる」と言うのでしょうか。私は、それは人の傲慢(ごうまん)な考えとしか思えません。むしろ、全国どこでも見られる野鳥や動物の変化は、人の生存への警鐘(けいしょう)だと見えます。 |
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2011年12月17日撮影 |
この写真を撮ったのは、先に掲載中の「(20)トラクター横の青鷺」と、同じ日時でした。場所もほとんど同じ所ですが、左側に石走川が写っている通り、この川の土手に舞い降りてきました。私の立っていた地点より約20m離れた場所になります。 |