どこかで見たような
「みんなで恋した50'sから60's。 ステージからロックンロールのビートが聞こえてきたら、さあもう一度、青春に乾杯しよう。」
「オールディーズのリズムに乗って、ツイストを踊って、陽気でドリーミーな50'sに誰もが再び熱くなる。」
「川崎ケントス 12.18(FRI)OPEN」と書かれたカードを私は、1989年東京に行った時に受け取りました。なかなか、今見ても期待持てるコピーでした。
同じような店と分かってはいても、「また、川崎に新しい店ができるのか、いつ、行こうか」と思っていましたら、新しい年が明け、結局始めて行ったのは、1990年3月31日でした。
私は、この日、翌日の会議に備え、前泊することにしていました。前泊は、いいとしても寝不足の夜勤明けですから、新しい店に行き、聴くだけきいたら、早めにホテルに戻り、寝ようと言う最初からの魂胆でした。
川崎駅から出ていつもの通り、居酒屋を探していましたら、ある有名な日本酒の名前と同じ店名があり、まあ、ここでもいいかと中に入り、時間つぶししながら、ビールを飲んでいると、疲れのためか、酔いがまわりかけてきました。
睡魔との競争で盛り上がりの時間までは待てないと思い、やや早め目に川崎ケントスのあるビルに向かいました。このビル名は、「チネチッタ川崎」で、この「チネチッタ」と言う名前は、どんな意味があるのか分かっていませんでしたが、何かしら、興味わく、心ひかれる感じが当初からしていました。川崎ケントスは、このビルの4階にありました。
中は、思ったよりけっこう広い感じで、しかも、オープン後、まだ、4ヶ月弱ですから、何もかも新しかったです。いつもの通り、ボトルキープするため、申込書に書いたり、フードを頼んだりしていましたら、バンドの『C・Cライダー』の方も、徐々にステージ準備されていました。
その中の顔ぶれに、どこかで見たような気がするなあと、演奏中含めて思っていました。しかも、演奏の方もなかなかのもので、全国平均よりも上だと感じていました。(平均がどのくらいか、具体的に言えないのが残念ですが。(笑い)
演奏の合間に「なかなか、ここのバンドうまいですね」と、近くに来られた店長に言うと、「えっ。そうでしょう。以前博多ケントスで活躍したメンバーがいますよ」とのことでした。「あー、そうか、それでか」と、納得しました。
博多は、大阪からそう頻繁に行った訳ではありませんが、あそこは元々バンドやライブハウスも多い土地柄で、どこの店のバンドも演奏はなかなかのものでした。ある小さなライブハウスでは、お客さんの中で、飛び入りでギターを借りてプロ並の演奏する人もいて、驚いたこともありました。
いい演奏を2ステージ聴けたし、睡魔も段々近寄ってきたので、まだ、ボトルには80%がた残っていましたが、ホテルに向かうことにしました。耳に残る心地よいリズムを残しながら、この日は熟睡できました。 (記:2001年12月28日)
|