高木さんのイタリア遊学記
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スリとの遭遇
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被害を受けた3回はいずれもジプシー系の若い女性だった。事前に会話、もしくは視線を交わしており、今思うと何となく後ろに気配を感じていた。だから、犯人はというと絶対に彼女達と断定できる。生まれて初めて自分の物を盗られた経験。驚きを通り越し、腹が立つやら、憎らしいやら。相手の非道に激しい憤りを感じたのは言うまでもない。 しかし、時間が経つにつれて、感情の高まりもなくなってきた。冷静に考えて見ると、私はスキだらけだった。ここは日本と違う。スリの大国イタリアなのだ。もっと、注意をすべきだった。このことはこれからのイタリア生活に警鐘を知らせるものだった。そして、あの日から原因と対策(受験の参考書で聞いたような)を真剣に考えるようになった。 イタリアにはたくさんの民族がいる。そして、生活の底辺には黒人やジプシーの存在がある。この両者を比べた時、大きな違いがある。黒人の人からはスラれはことはないし、不愉快なことを受けたこともない。その反対に親切にされ感謝したことは何回もある。当局から睨まれながら、際どい商売をしている人達も大勢いる。 しかし、決して人の物を盗ったりしない。彼らは一生懸命に働いている。だから、彼らには好意を持っていた。今日までその気持ちと態度は変わらない。しかし、ジプシーは人の物を平気で盗る。物乞いもする。スキがあれば悪いこともする。油断出来ない。難民と言え、あまりにもそれでは悲しい。希望を持ち、夢を持ってほしい。
1.フィレンツェ(2回) a)公園で(被害有り) 公園の芝生で昼食のパンをかじっていた時、2人の若い女性が道をたずねに来た。2人共、旅行者みたいでフィレンツェ駅を探している様子だった。 日頃より、よく道を教えてもらって、親切が身にしみている私としては一も二もなく笑顔で応対したのは当然だ。丁度、バス会社の路線地図を持っていたので芝生に広げ、身ぶり、手ぶりで説明した。彼女たちはわかったのか「Thank you very mach」と言って消えた。私は役に立ってうれしかった。 数分後、昼食の後片付けをし始めた時、「小さな小物入れのバック」がないのに気付いた。いくら探してもない。「ない」「ない」「どうしてないのだろう」空を見上げて考えること数分間。 「わかった」。彼女達にまんまと騙されたのだ。地図を広げ、説明している時、一人が後ろにまわり、物色していた。「あぁ〜何ということだ。親切に教えてくれた当人の物を盗るとはどう言う人間だ。全くひどい女達だ。絶対捕まえてやる」捕まえたら「口に手を突っ込んで奥歯ガタガタさせてやる(子供の頃の流行語)と頭に血が上った。
片付けもそこそこにして、観光客の集まるドーモ、シニョリーア広場、レプッブリカ(共和国)広場に直行した。たぶん、人通りの多いこの辺でまた、獲物を物色しているだろうと思ったからだ。しかし、何回もこの通りを往復し、辺りを探したが、とうとう彼女達を見つけることは出来なかった。フィレンツェで生活をして1ヶ月目のことだった。 b)バスの中で(被害なし) ジノリ(イタリアの有名陶磁器メーカー)の工場に行くためフィレンツェ駅発2番のバスに乗車した。時が経つのも早いもので11月を迎え、滞在も7ヶ月になろうとしていた。スリへの情報も対応も、生活をし始めた頃とは格段に向上していた。(10月にはパリでやられていた) 「行動、服装に油断もスキも見当たらないだろう」。そう自分で自負していた。「盗るならいつでも、どこからでもどうぞ」と朝夕のバス乗車に余裕すらあった。昼下がり、バスは最高に混んでいた。こんな時はスリが出没する可能性が多い。私は日本人だから狙われているかも知れないと思っていた。 バスが走り出して5分位経ったかと思う。隣の若い男が混んでいるのを利用して何回も押してくる。「スクジー」イタリア語で「すいません」と申し訳なさそうにそのつど言っている。嫌な予感がした。私は全神経を男の行動に集中した。すると、次には私のセーターの中で何か物色しているような非常に微妙な手の動きを感じた。この所要時間約15秒ぐらいだったと思う。 私はすぐにスリと察したので体を横に動かし、男と正面を向くことにした。すると「手」はすっと引いていった。男の顔を見たが、驚いている様子はない。「おかしい」すると男の後ろにいた中年の男が少しずつ離れていくではないか。「怪しい」犯人はあの男だったのか!するとこの男とグルと言うことになる。そうか。すぐに2人組みのスリと納得する。
2.ローマ(2回) a)バスの中で(被害有り) 7月になり、暑い日がつづいていた。家族が来たので、バチカンを案内することにした。テルミニ駅発の64番のバスに乗らなければならない。バスは2台の連結車で車内は通勤客ですぐに満員になった。身動き出来ないくらいの混雑だ。 1〜2分ぐらい経ってすぐに後ろのポケットにかすかな反応を感じた。すぐに後ろを振り向くとジプシーの若い女性(小柄な10代位)がびっくりしたのか私の顔を見て、すばやく人ごみの中に消えて行った。彼女と視線が合った。横にもう一人同じような女性がいたが一緒に消えていた。所要時間1秒ぐらい。一瞬の出来事だった。見事に後ろのポケットから簡単なメモ帳が無くなっていた。多分、財布に見えたのかも知れない。彼女達の姿を追ったがわからない。どこにもいない。彼女達はバスの発車前に消えていた。 b)テルミニ駅で(被害なし) ローマテルミニ駅周辺に宿泊し、朝8時頃駅に向かった。イタリアの首都だけあって結構な人通りだ。歩道にはジプシーの一団が見える。母親らしい女性が例のダンボールを持っている。
3.ピザ(1回) 路上で(被害なし) 学校からの小旅行でピザに行くことになった。20人位の国際色豊かなメンバーだ。ピザの斜塔まで行けないので近くの駐車場に停める。300mぐらい歩くと、おみやげを売っている露店が見えてきた。同時に物乞いやジプシーも見かける。さかんにこちらに声を掛けて来る。誰も相手にしない。当然だ。 私も無視して行こうとしている時、赤ちゃんを抱いた母親がやって来た。小さな子供も一緒になってついて来る。お金を恵んでくれとダンボールを片手に話掛けてくる。かなり強引だ。私は初めてのことで戸惑ったが、走りながら何とか振り切って逃げた。 あのダンボールの下は手が動いていて私の服を触っていたように感じた。後で聞いた話ではスリの行為をカモフラジューするための大事なダンボールらしく、その下で手が忙しく物色しているとのことだった。 4.ジェノバ(1回) 水族館前で(被害なし) イタリア最大の水族館に行った。プリンチペ駅から歩いて15分位の海岸にあり、人気がある。建物周辺には例のごとくみやげ店も出ており、ジプシーもいるようだ。 母親、子供、7〜8人は居る。こちらにやってくる私を見て、例のダンボールを準備している様子だ。横を通り過ぎようとした時、彼女達は全員でやって来た。母親らしき女性はダンボールを持っている。彼女達の行動は全てお見通しなので大声で一喝した。絶対に情けは禁物だ。私のこの行為にみんなびっくりし、急いで離れて行った。 5.パリ(1回) 地下鉄で(被害有り) 10月パリ地下鉄でスラれてしまった。パリのことは元同僚の深江さんおよび娘さんから詳しくいろいろと聞いていた。彼女はフランスに留学された才媛で、フランスのことは何でも知っている。だからスリのことも忠告を受けていたし、その対策も頭の中に入っていたつもりだった。「あぁ〜それなのに」何たる不覚。私は自分を大いに恥じた。折角の忠告も露と消えてしまったのだ。 パリは2日間の予定で、長女、妹、いとこ夫婦の5人での観光めぐりだ。10月にもかかわらず天気は快晴の青い空。そして、陽も差しているので暖かい。暑いくらいだ。私はバイク専用の小さなポーチをベルトに通し、チャックのつまみに針金を通す。その上からわからないようにコートを着て、隠していた。しかし、セーヌ川の遊覧船に乗ってからというもの日中の温度は上がりつづけ、いつの間にか私はコートを脱いでしまっていた。
この時、異変に気付いていれば良かったのだが、全くわからなかった。本当におめでたいときている。混雑の中、地下鉄を降りた。そして、美術館の入場となった時、初めて財布を盗られたのに気付いたのである。 ポーチにはパスポートもあったが残っていた。イタリアまでの帰りの切符、ホテルのクーポンは別の内ポケットにいれていたので無事だった。コートは脱いで、ポーチも丸見え、その上、用心の針金もしていなかった。本当にこれ以上の最悪はない。 「どうぞ、自由に盗って下さい」と言っているようなものだ。一緒の4人にも充分スリには注意するように言っていた手前、私のショックは大きかった。「バカ」「バカ」「バカ」「とうふの角で頭を打って死にたい」気持ちだった。 今、振り返ってみると後ろにジプシーの女性が一人いたのを覚えている。互いにホームで1回だけ視線を合わせている。その時最善の注意を払うべきだった。どれもあとの祭りだった。被害は現金600ユーロ、クレジットカード2枚、イタリアのバス定期券。なぜパスポートは盗らなかったのだろう?そして、カードも全然使われていなかった。これ以上の損害も出ず、正直「ほっと」した。不幸中の幸いだった。 6.トリノ(1回) 中央駅で(被害なし) 冬季オリンピックが開催されていたので土・日を利用して行くことにした。トリノ中央駅を出た所で中年のご婦人に会場までの通りをたずねる。地図を持っていたので事前に確認していたが、地元の人に聞くのが一番だ。昼前に到着したが天候は雪からみぞれに変わった。厚手の皮ジャンだったが寒くて「くしゃみ」が何回もでた。イタリア北部だけあって本当に寒い。
「スクジー(すいません)」。例のパターンだ。私は大声で一喝した。男は走って逃げていった。なんだ口ほどにもない。対策万全の私には「そのような見え透いたことは通用しない。出直して来なさい。まだまだ君は修行が足らんよ」と静かに呟いた。 そして、また、あの言葉がでてしまった。「日本人をなめるとあかんぜよ」イタリア生活も長くなってくると態度も大きく、へんな自信もついている。しかし、これ位しないとここでは生きていけない。 |
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掲載日:2006年8月3日 |