高木さんのイタリア遊学記
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ホームスティ生活(1)
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フィレンツェ駅から10番のバスで25分ぐらい。そして、そのバス停から歩いて5分ぐらいの山手の閑静な緩やかな坂がつづく住宅地にホームスティ宅はあった。サッカーの中田選手が所属していたフィオレンティーナのサッカースタジアムもこのステイ先から10〜15分ぐらい歩いて行くと見えてくる。日曜日の試合の時などは歓声が身近に聞こえ、サッカー王国イタリアに来たという感じが肌で感じた。 周辺 ここホームスティ宅のまわりは1戸建ての住宅ばかりで家も大きいけど庭も相当に広い。(殆んどが200から300坪以上はある)。大きな松の木や月桂樹の生垣、藤棚(フィレンツェはなぜか白色が多い)、オリーブ、ぶどうの木。どこも緑の中に一戸建の家があるという感じで、すばらしい環境だ。多分、ここはフィレンツェでも裕福な家庭の人ばかりだろうと思われる。 貴族 そして、少し上の丘には元貴族らしい館が見え、専用の道路が通っていた。時々、新車のポルシェのオープンカーが往来していたので当然ながら、日本ではあり得ないこの眺めに興味を抱き、あとでその道の出入口まで行ってみた。そこには何と出入りを管理している農家らしき小さな一軒家があり、門扉はしっかりと施錠されていた。家の中には雇い人らしき2人の男性が門扉の外から見え隠れしているのが確認できた。個人の専用道路があるなんてやっぱりヨーロッパは違うなあと実感する。
数十年は経っているだろうと思われるまわりの赤松の大きな木々は見る人を圧倒する。高さは軽く15〜20mぐらいはあるだろうか?日本のように全体に枝は広がっておらず、上部の1/3を残してあとは全て伐採している。ところが変わると剪定の仕方もこんなに変わるのだろうかとおもしろい。 暑い所でも寒い所でも見かける松の木は緑豊かな美しい常緑樹だ。ここイタリアのフィレンツェでもこんなにたくさん見かけるとは意外だったので本当に驚いた。公園はもちろん道路の街路樹、歩道、団地や公的施設の樹木等等、イタリア人がこんなにも松が好きだったとは。松竹梅をこよなく愛する日本人もびっくり、びっくり。 部屋 2階の南側の一番陽当たりがいい部屋を案内された。目の前にはオリーブ畑が広がっている。その左側には小学校らしき建物が見え、子供の遊び声やシスターの姿も見える。 窓から見える景色はイタリアに来たという実感が当然のごとく湧いた。部屋は10帖ぐらいの広さで天井は3mはあるだろうか?高いので気持ちが良い。壁はペンキ塗りで白一色だ。隅にはやや長手の机と本格的な木製の本棚。そして、長イスのソファとベットが1つずつ。それに収納家具もあった。照明器具は机に1つと部屋の片隅に大きな間接照明器具が1つ。いずれも白熱電球で光に色が付いていて目に優しいし、疲れた体を癒してくれるようで本当に落ち着いた。 家族 構成はお母さんと娘(名前はサラ)さんの2人家族。近くにはサラの弟さんとお姉さんがいた。そして、犬と猫が1匹づつの家庭。子供の居なかったのが残念だった。(子供との会話を楽しみにしていたのだが)。お母さんは店を経営されているので夕方から毎日店へ出かけなければならなかった。だから娘さんのサラが毎回食事をいろいろと作ってくれている。亡くなられたお父さんが店を開業、その後はお母さんが引継ぎされていた。日曜日しか見ないお母さんの顔は何となく疲れているようだった。
朝食は7時半、夕食は20時から始まる。こちらフィレンツェの夕食はどこも同じ時間帯のようだ。だから、街のレストランは大体20時から24時までは大変忙しい。19時頃行ってもまだ準備中の看板が多いのにはびっくりする。4月というのに20時頃はまだ太陽が沈んでいない。日本で言うと夕方の17時頃の感じだろうか?まだまだ、辺りは明るい。 朝食 ホームスティの朝食のメニューは大体ビスケットとコーヒー。そして、テーブルにはフルーツが載っている。時々、パウンドケーキがビスケットの替わりになったりした。日本のようにハムと卵とフルーツのセットとはいかない。話しには聞いていたので別に驚きはしなかったが、毎日、毎日少し甘いビスケットやジャムがのっている色とりどりのクッキーには少々飽きてきた。日本の温かいご飯と味噌汁が懐かしいと当然思い出される。無理もないことだ。私はコーヒーを牛乳に替えてもらい、バナナを毎日1本食べることにした。これで栄養のバランスはとれるかなあと勝手に理解し、これからの長い単身生活の健康をいつも考えなければならなかった。 夕食 夕食は大体スバゲッティが多く、野菜サラダがいつもついていた。それに赤ワインとパン。水はびんに入っているナチュラル(自然水)。パンは無塩の固いフランスパンを輪切りにしたもの。チーズは少し固いけど、まろやかな風味が特徴のパルミジャーノ。生ハムもよくパンに挟んで食べた。チーズや生ハムは種類が多くて迷ってしまう。日本と違って安くて、安くて本当にうまい。 外食 毎週1回、外食へ連れて行ってもらった。スティ先から車で5〜6分。フィレンツェの象徴ドーモからだと約20分ぐらいはかかるだろうか?ピザ専門店で名前は「バウンティ」。ホームスティ宅のお母さんが経営していたので当然、入るとサービス満点だった。店内のインテリアは帆船風の雰囲気で統一され、ランプの照明と渋い木目調の板壁がよく似合っていた。100人はゆっくりと座れる感じで広い。
店内の雰囲気はランプの光がほどよく優しく、どことなく落ち着いて、気持ちがゆったりして来る感じだ。適当な明るさがさらに渋いインテリアを醸し出している。なかなかセンスがいい。 ここのピザはナポリ風で直径30cmは充分あり、まわりが厚い。よく食べていたのはキノコとトマトをモッツァレッラチーズ等で一緒に焼き、それにルッコラを十分にのせたフンギというメニューだった。ルッコラは生まれて初めて食べた野菜だったが、ピリッとした味あいと後味が良くて本当においしかった。私は今でもフィレンツェではここが一番うまいと思っている。 ワイン 飲み物は必ずトスカーナ産(地元の州)の赤ワインを持って来た。水もガス(炭酸の無味)入りとナチュラル(普通)のどちらかを必ず聞いてくる。イタリアに限らず、ヨーロッパはガス入りの水が多い。ここフィレンツェに限らずイタリアのどの都市でも、水とワインは大体同じ料金で500ccぐらいで約1ユーロから1.5ユーロ。絶対に2ユーロはしない。日本円にして150円から250円ぐらい。高級レストランは別格だが水は高いけどワインは桁外れに安い。信じられない安さだ。みんな水代わりに飲んでいた。 洗濯 毎週土曜の午前中、必ず洗濯をした。そうしないと着る物がなかったからだ。スティ先の洗濯機は使用を禁止されていたので庭の洗面台で洗わなければならなかった。手洗いからすすぎ、そして、干すまで1時間以上はかかった。しかし、快晴の日は青空が広がり、まわりは一面のオリーブ畑。4月のフィレンツェはまだまだ風が冷たかったが、今までに見たこともない眼の前の風景に感動し、清々しい気持ちになった。「こんな世界もあるんだ」。だから、毎週の洗濯は本当に楽しかったし、それに他にも楽しみがあった。
洗濯をしている時、必ず近くの農夫がオリーブ畑の雑草に草刈機を掛けていた。私はそれを見て手を休め、大きな声で「ボンジョルノ」と手を振ってあいさつした。相手が気付くまで何回も呼んだ。他のイタリア語は知らないし、この言葉しか思いつかないので仕方がない。 相手は50〜60mは離れていたのに私の呼びかけに笑顔で手を振って応えてきた。そして、遠くにいた農夫はわざわざ仕事を止め、こちらにやって来るではないか。しゃべりながら私に手を振っている。何て言っているのか全然わからない。まだイタリアに来て1週間ぐらいしか経っていなかった。全然、会話にはならないだろうが何とかなるだろうと笑顔で迎えることにした。 長崎 彼は東洋人が珍しいのか私を目の前にして、どこから来たのか聞いているようだ。60〜70才ぐらいの元気な農夫に見える。殆んど何を言っているのかわからなかったが、1つ、2つかすかに覚えたての語彙が聞こえてきた。鈍い第6感で察しするしかない。 例の覚えたてのイタリア語で「私は日本から来た。長崎に住んでいる。」と話すとびっくりしたように「おぉ〜ジャポーネ、広島、長崎ボーン」とジェスチャーたっぷりに話してきた。さすがに感の悪い私でもすぐに何を言っているのかわかった。長崎という都市は原爆の被害によってこのイタリアまで広がり、知名度がこんなに高いことに本当に驚いた。農夫の方には失礼だがよく原爆のことを知り、長崎の名前まで知っていたことにびっくりすると同時に、過去の歴史を忘れない姿勢に感心させられた。 |
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掲載日:2006年11月9日 |