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福田さんの写真館

2006年パレスチナ撮影・旅先だより
2006年5月13日 スエズから
皆様、お世話になります。5月10日にスエズに戻りました。

 STカトリーナからスエズまでのバスが出ず、350KMほどの距離をヒッチハイクで帰りました。徒歩約3時間、乗り継いだ車4台。赤いいすゞの兄ちゃんにコカコーラをご馳走になり、3.5(ℓ上野注10)ディーゼルの赤いトラックのオジサンには夜飯をご馳走になりました。

 きれいなホテルに泊まり、きれいなレストラン、きれいなバスに乗って団体ツアーで観光するのもいいですが、私は現地人とちょくに触れ合い、話をし同じ物を喰う。そんな旅が好きですね。 でもでも。。。。と、ここまで書きましたが、私しエジプトはどうも肌に合わず。。。書くと長くなりますから帰ってから。。。     できれば大金持って団体ツアーで観光したいものです。

 STカトリーナはよかったです。険しい山々に囲まれたベドウィンの町でした。美しい、静か。夜はまったく音がありません。脳ミソのノイズがジィーと聞こえるほどです。残念なことにそれだけ静かな町ですから人がいないのですね。人を入れて写真にしないとどうも風景写真になってしまいそうで。。。後に画像を送ります。

 皆様、明日、夜半にカイロを出発します。帰国は日本時間16日朝ごろ福岡着となります。ヨドバシカメラ(必要な物があればTELください)に寄って感材を買い込んで帰宅します。夕刻にはたぶん長崎市内をふらついています。2ヶ月間、下手な文を送りつけてすみませんでした。また沢山の励ましのメールをありがとうございました。

 とりあえず。。。福田雅宏
上野注1:( )内は、文字化けで不明。

2006年5月6日 スエズから
皆様 ゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしょうか。飲み会のお誘いなどありがとうございます。メールも打たずにすみません。すっかりナマケモノです。

 先月27日にイスラエルを出国し、ここ10日ほどスエズ周辺やバスに乗ってカイロへ行き、考古学博物館やピラミッドを撮影したりしながら過ごしていました。

 明日はモーゼが十戒を授かったと伝えられるSTカトリーナへ行きます。パレスチナの話は帰国後、お会いしてからゆっくりしましょう。
上野注9:帰国は5月16日朝とのことです。

2006年4月16日 ナブルスから  (上野注5)
 皆さん、元気ですか? 現在ナブルスにきています。ここに来て既に10日以上なりますけども、インターネットの環境が悪く(上野注6)気が進みませんでした。連夜、町のどこかで掃討作戦がおこなわれています。ですから、それに関する写真は撮れていません。

 パレスチナの様子もだいぶ変わりつつあるようです。イスラムの女性がつけるスカーフ、それをつけないのが目立ちます。昨年訪れた時はみかけませんでした(中にはクリスチャンもいますけどね)

 これは大きな変化と見ています。イスラム離れが進行していると思います。そうすると妥協といいますか、イスラレルに対して暴力(自爆テロなど)で対抗などせず現状のままでよいのではとなります。

. 紛争がなくなり、よしよしと思いきやそうすると先進国からの援助がなくなり、また貧しい生活となる。そうするとやはりことをおかさなければならない・・・・・・。なんてことも、夜な夜な情勢を聞きながら思考しています。

 読みにくい、まとまりない文ですみません。こちらは今日は雨で寒いです。日本は入学式などの盛りのようですね。うーん、想像できます。ナブルスではノーダ(上野注7)やコーヒー屋の親父など皆元気でした。

 次回はエルサレムに戻ってから書きます。(上野注8)  金曜日あたりに。

上野注5このメール内容は全文ローマ字で送られてきたものを上野が和訳したものです。本文、句読点や文の区切りや改行なども出来るだけ原文を生かしながら、上野が改訂・補足しました。

上野注6ナブルスは「インターネットは見れないことはないが良くない」と出発前に聞いていました。ローマ字のメールも日本語が使えないパソコンばかりと推察しています。

上野注7このノゥルちゃんは、昨年福田さんが撮った娘さんです。ノゥルちゃんの写真はこのページ(上の写真)と、もう一つの別ページ(青いTシャツ姿)ご覧下さい。

上野注8エルサレムは下記(4月6日のメール)内容でも分かる通り、インターネットもパソコンの日本語環境もいいようです。

2006年4月6日 エルサレムとパレスチナ西岸地区
 お便りありがとうございます。無事エルサレムに着いていますよ。ここから近場のパレスチナ西岸地区に足を伸ばしていました。

昨年より女性がスカーフをはずしているのが目立ちます。う〜ん。私は悲しい。パレスチナも文化面で変化しつつあります。

2006年4月1日
 皆様 いかがお過ごしでしょうか。長崎では桜がもうすぐ満開だとか。エジプトに来てから20日目、欠落した義歯のなんとも不快な感覚にはなれたものの、ガザ行きのビザは、いまだ手にできません。パレスチナエンバシィに問い合わせたところイスラエルの検閲で発給できない、とのこと。昨年、イスラエルはガザから完全撤退し、エジプト側からの入国(入自治区)は簡単だろう。と見込んでの今回の旅でしたが勉強不足でした。

 昨日、ガザ地区で原理主義組織のメンバーが暗殺されたようです。今日金曜日はイスラム暦で休日にあたり、パレスチナではあちこちでデモや集会が行われたようです。ここエジプトでは普通に店が閉まって、港公園では家族の団欒が見られました。平和といえば平和です!?!?

 いま外から、結婚した両家の車がビィビィ鳴らしながら走るクラクションの音が聞こえました。一応、明日、エジプトを出る予定です。ターバー(上野注4)を経由しイスラエル入国、エルサレムへ向かいます。

上野注4:ターバーは、紅海からアカバ湾に入った最深部の町です。

2006年3月30日
 
あさってくらいにエジプトとガザの国境の町ラファ、かターバー経由でイスラエルに向かう予定です。日食(上野注3)も観ました。

上野注3:今回(2006年3月29日の日食は、アフリカ、ヨーロッパ、中央アジア地域で見れたようです。その中でも、太陽がほとんど月に隠される皆既日食はリビア、エジプト、トルコ方面で観測できたようです。

2006年3月27日
 
皆様 いかがお過ごしでしょうか。現在私は、スエズの町に来ています。スエズ運河のあるところですね。カイロと違って、雰囲気ものんびりして人々は優しく、住みやすいところです。

 本日、パレスチナエンバシィにビザについて問い合わせたところ、「来ていない」とのこと。こりゃこんな、と諦めムードです。数日待って発給ない場合は、西岸地区に向かいます。再出発前に、またメール書きます。スエズ運河は、遠くにですが見えます。

2006年3月23日
 明日はスエズへ行こうかと思っています。

2006年3月22日 ビザ発給待ちから1週間過ぎました。
 いまだカイロです。パレスチナビザ発給の依頼から今日で1週間となり、パレスチナエンバシィへ行きましたが、まだでした。ここ数日、カイロの街をぶらぶらしています。あてもなく。無意識のような感覚です。

 ホテルでは本を読んだり、音楽を聴いたり、目を閉じると自分の部屋となんら変わりありません。といっても、日本にいても無意識な状態でいつも過ごしていますから、これもまた同じです。夢遊病というのでしょうか。

2006年3月18日 ビザ発給待ち状態、ギザにも行きました。
 皆様、心配していただき、また励ましの言葉もありがとうございます。いまだカイロにいます。というのも目的地パレスチナ自治区ガザへはツーリストで入ることができず、はてどうしようかと考えていた次第でした。

 泣く泣く日本大使館へ行き、相談したところプレスは入っているということを聞き現在、プレス「パレスチナのプレスカードを持ってきていた」でビザ発給の依頼を出しています。それが発給まで2週間ほどかかるらしく足止めしています。

 ということでクフ王のミラミッドやスフィンクスのあるギザCITYへ行きました。想像より小さく見えました。感動もそれほどありません。目的地がここでないことと、諌干のギロチン(上野注1)やナブルス(上野注2)で見た光景に比べたら、です。画像を送ります。ホテルから歩いて10分ほどのところにナイル川もあります。私の焦る気持ちとは裏腹にゆ〜くりと流れています。

 気温室内で朝方20度。連日晴天、雨季は終わったようです。たまに砂嵐で空が霞みます。まとまりのない文ですみません。とりあえず。。。

上野注1:1997年4月諫早湾干拓事業の時、それまで海水が行き来していた水門で約300枚の鉄板が上から落され閉鎖になった。この時の模様をさながらギロチンのようだとマスコミなどで称されていた。福田雅宏さんは、作品「諌早干拓-再生への道標」で、2003年にアマチュア写真家を対象に催されている山形県酒田市の第9回土門拳文化賞の奨励賞を受賞している。

上野注2:これまで、彼はヨルダン川西岸地区にあるナブルスで主に撮影していた。(ナブルスなどで撮られた写真や写真展説明文などは、ここからご覧下さい

2006年3月14日 エジプト カイロから
 皆様 お騒がせします。 無事、カイロに着いています。 いろいろ考えることあり。

2006年3月11日 日本(福岡空港)出発

初回掲載日:2006年3月28日
順次掲載中:

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