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聞いた言葉・第136回目、郷土史の再評価(地方史の見直し)

郷土史の再評価(地方史の見直し)

 今回の言葉ですが、近年、郷土史(地方史)が再評価あるいは見直しが図られ、日本各地で注目されつつあります。特に、2011年3月11日の東日本大震災以降、この地域の先人が残して下さった津波記念碑や古文書類がマスコミでも再評価され度々報道されました。また、全国各地でも、その地域の各災害と過去の教訓を見直され話題になっているようです。そして、先人の残してくれた教訓を、いかに広め、データベース化、保存、継承し、どう現代や未来に生かしていくかが問われているようです。(私は今回のテーマと関係していますが、この聞いた言葉シリーズの第67回目に「考古学は未来学あるいは別の『福重ホームページ』には大村の郷土史を1,000ページ以上掲載中です)

  まず、今回の言葉の意味からですが、フレッシュアイペディアによりますと、郷土史関係について次の<>内のことが書かれています。郷土史(きょうどし、独: Heimatkunde)とは、ある一地方の歴史を調査・研究していく史学観の一つである。日本にも風土記などの地誌資料があったが、あまり着目されていなかった。郷土史という概念は、ドイツのハイマート・クンデの概念が日本に持ち込まれたものである。郷土史の研究をする者のことを郷土史家、郷土史研究家と呼ぶ。  

 あと、郷土史(地方史)含めて歴史と言えば、直ぐに古文書などの書籍類を連想しますが、実はそれだけではありません。私が見聞きした範囲内でも例えば、縄文・弥生・古墳時代などから近代まで各年代の遺跡、各種遺物、人骨、石仏、木簡・石碑(碑文)、神社仏閣、土木工事(堤=溜め池、堤防、用水路、橋、その他)、地元伝承事項、民話、おとぎ話、地名、農作物や産業など広範囲に及びます。

 学問や専門家の分野も、考古学の方だけでなく例えば遺跡ならば建築・土木・構造学も必要ですし、人骨ならば人類生態・人骨・解剖・進化人類学などで研究されるかもしれません。あと、仏像・宗教画・石仏・神社仏閣ならば美術・宗教学が不可欠の学問分野とも思われます。さらには近年では航空・宇宙などの分野も総活用して、例えば衛星写真、GPSや地質調査などは当たり前になりました。つまり、大きくは世界4大文明から、身近なところでは郷土史まで、本格的にさらに奥深く広く調査、研究するならば全ての学問をフル活用して考えていく分野とも思えます。

  話しは戻りますが、今回なぜ郷土史(地方史)の再評価や見直しが、色々なマスコミ含めて全国で話題になっているかと言う点です。それは、2011年3月11日の東日本大震災や大津波などの災害発生時点で犠牲者が出なかったとか、所によって様々な対応違い、あるいは今後の防災上の教訓・示唆があるからだと思っています。色々と抽象的なことを言うより、具体的事項を書いた方が分かりやすいと思い、沢山ある事例の参考例として下記(1)(7)などを書いてみました。

 災害や先人の教訓事例の掲載されている各ホームページを参照して、概要のみを下記に紹介します。また、全国的な話題とまでなってはいませんが、私の住んでいます大村でも過去に地震や大水害が起こっていますので、そのことについても書き加えています。下表の各見出しと<>内が報道などの概要、( )内は資料出所先や上野の補足などです。各リンク先表示は、2011年9月19日現在で見られる範囲内ですが、その後リンク切れになっていましたら、ご容赦願います。念のため順番や整理番号は、あくまでも便宜上のもので特に意味はありません。

(1)「てんでんこ」三陸の知恵、子供たちを救う(2011年3月28日、読売新聞) <三陸海岸地域にある津波防災伝承の一つである。「命てんでんこ」という言葉がある。これは、「津波の時は親子であっても構うな。一人ひとりがてんでばらばらになっても早く高台へ行け」という意味を持つ。釜石市では、全小中学生約2900人のうち、地震があった3月11日に早退や病欠をした5人の死亡が確認された。しかし、 それ以外の児童・生徒については、ほぼ全員の無事が確認された。学期末の短縮授業で184人の全校児童のうち約8割が下校していた市立釜石小。山側を除くほとんどの学区が津波にのまれたが、児童全員が無事だった> (出所先及び詳細説明は、ここからご覧下さい)

(2)明治の教訓、15m堤防・水門が村守る…岩手
 (2011年4月3日、読売新聞より)<津波で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の中で、岩手県北部にある普代(ふだい)村を高さ15メートルを超える防潮堤と水門が守った。村内での死者数はゼロ(3日現在)。計画時に「高すぎる」と批判を浴びたが、当時の村長が「15メートル以上」と譲らなかった。 「これがなかったら、みんなの命もなかった」(後略)> (出所先及び詳細説明は、ここからご覧下さい)

(3)岩手県宮古市の姉吉地区にある大津浪記念碑
(2011年春に多くの新聞、テレビなどで報道。英語版ニューヨーク・タイムズでも報道。ここからご覧下さい。このサイトには石碑の写真や動画もある。あと、「失敗は伝わらない」の動画でも、この石碑は説明されている) この石碑には、次の「」内の碑文が彫られていると言う。

  「大津浪記念碑 高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ) 此処(ここ)より下に家を建てるな 明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て 部落は全滅し、生存者、僅か(わずか)に前に二人後に四人のみ 幾歳(いくとし)経るとも要心あれ」  

 三陸海岸には数百の津波記念碑がある。その中でも、岩手県宮古市の姉吉地区にある大津浪記念碑は、地域の方が先人の教えを守り、今回の巨大津波でも犠牲者が出なかったと言う。そのようなことから国内だけでなく、先のニューヨーク・タイムズの記事みたいに海外でも報道されたのだと思う。

(4)大阪市浪速区にある「安政大津波」の碑(大阪市のホームページ「安政大津波」より)この記念碑の紹介文には、次の<>内のことが書いてある。<嘉永7年(1854年)11月の大地震による大津波の被害は甚大でした。その模様を記録し後世に対する戒めを伝えるのが、大正橋東詰(北側)にある安政2年(1855年)7月建立の安政大津波碑です。そこには大地震が起きた場合には、必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。> 

 あと、記念碑(碑文)後半の一部(現代語訳)「(前略) 津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。 (中略) 津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい」と書いてある。

  私は、この文章を見た時、海から来る津波だけでなく、今で言う”液状化現象”など地震そのものの特質までも短い文ながら見事に表現してあると思った。また、「墨を入れ、伝えていってほしい」と言う部分は、「後世の人よ、人は忘れやすいから墨を入れる時に、この碑文内容を再確認し災害に備えなさい」と先人は言っておらると解釈した。近代の寺田寅彦の言葉=「災害は忘れた頃にやってくる」と言うことを江戸時代から本当に良く分かって、先人は彫り込まれているのではないかとも想像した。

(5)なぜ?神社の手前で大津波が止まったワケ (TBS報道特集、2011年8月20日放送、同局番組のサイトより)<福島県の沿岸を調べていくと、不思議な現象が確認された。東日本大震災で起きた津波の浸水域の線上に多くの神社が無傷で残っていたのだ。 今回、私たちの取材で浮かび上がってきたのは、何百年・何千年の昔から伝わる先人たちの知恵、いわば「いにしえの警告」とも呼べるものだった。>(この番組の動画サイトは、ここからご覧下さい)

 <(ここから次のテーマについて上野が番組をまとめた概要と補足)同じような原発で同じような海岸線近くにあり、大事故を起こした福島第一原発と、一方ほぼ無傷だった女川原発の差は何だったのか。それは、過去の地震や津波の教訓を真剣に研究し、建設時に採り入れたか、事実上無視したかの差だった。 しかも、東京電力の記録映画「黎明(れいめい)」には、この大地削り取り工事のことを「・・・高さ30mの断崖が切り立つ亡羊(ぼうよう)たる大地。大地が20mも 削り取られていく。人間の計り知れない叡智(えいち)は輝かしい 次なる文明の段階へ繋がり、今ここに偉大な建設が成しとげられようとしている」と、文字及びナレーションで説明していた>

  結果として、「人間の計り知れない叡智」のおかげで、あの原発大事故が発生したのでしょうか。ちなみに国語辞典の大辞泉には、「叡智=1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。2 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。ソフィア。」と書いてある。

 福島原発事故後、原発推進者などから「想定外の事故だった」とか「千年に一度の地震・津波は予想できなかった」とか発表された。しかし、女川原発建設前に東北電力は、古記録に残る貞観大津波(869年=貞観2年に発生)を研究し津波想定要素に入っていた事実、片や福島原発は元々高さ30mあった大地を20mも削り取った事実などを聞くと、先の「想定外」発言などは責任逃れみたいに聞こえる。

(6)享保10(1725)年、大村で大地震 後藤長崎大名誉教授突き止める (2011年3月15日、長崎新聞 ) <大村市市史編さん委員の後藤惠之輔長崎大名誉教授が、大村藩の藩政日記「九葉実録(くようじつろく)」などを調べ、1725(享保10)年に大村城下で直下型地震があったことを突き止めた。後藤名誉教授は「大村、諫早両市を中心とする周辺市町に注意喚起したい。建物の耐震化促進や地震へ心構えを持ってほしい」と呼び掛けている。>

  この報道の元となった古記録は、新聞記事の通り江戸時代大村藩作成の九葉実録(くようじつろく)などにあったもので、「幕府への城壁の地震被害届け出と修築の許可を得た」など、かなり細かく書いてあるとのこと。また、この新聞報道後、大村に住んでいる市民も、かなり、この江戸時代の大地震とか活断層が市内にも通っていることなど話題となった。

(7)1957(昭和32)年、大村大水害の記録集『濁流 昭和32年7月水害作文集』(1957年12月12日、編集者:大村作文の会・大村市国語研究部、発行:大村市教育委員会) この本は、極簡単に言えば当時水害を体験された大村市内の小学校・中学校の児童・生徒さんが書かれた作文集である。水害後に見たまま聞いたままに書かれているので大村大水害の生々しさが伝わってくる。また、この作文集には、当時の大村市長、大村市教育長をはじめ親と教師の記録、あとがきなどもあり、データとして見る上でも役立つものである。

 特に、『濁流』の資料にある水害地域(床下・床上浸水など)は、現在の大村市発行の「01_大村市洪水ハザードマップ(郡川)」「02_大村市洪水ハザードマップ(大上戸川・内田川」と、ほぼ同じような図になっている。この『濁流』のように大村大水害の全体像が分かる資料があるのは、その意味で貴重なものとも言える。私は、「大村大水害を語り継ぐことも大切では」ページに、この本のことも紹介している。

 以上、上記(1)(7)項目は、ほんの一例です。そのほかにもインターネットで調べると全国には郷土史・地方史から先人の教訓を学ぶ事例が沢山あります。なぜ、そうなるかは詳細書きませんが、災害関係だけと限定しても日本は、世界に例を見ないほど火山噴火、地震、津波、台風、水害など天変地異の多い国です。その分、先人が後世に託された警告・教訓なども無数にあると思います。

 たとえ、そのような先人の教訓があっても、それを現代人が、どう生かすかが肝心であって、例えば「歴史、遺跡、遺物などの研究は無意味だ」のごとく行政によっては予算自体も削減されているのかもしれません。そして、過大な利用者数を見込んで作った公共施設建設や誰も利用しないような無駄な公共工事が、逆に今も続けられているのではないでしょうか。このようなことは後世の方へ「最初から無駄な公共工事はするものではないよ」と言う教える必要のない教え(後世の方から「あのような政治家や役人になったらダメだ」と言う反面教師される教え)を与えることはできても、間違っても大昔からの質素な古記録や石碑類などで訴えておられる、本当に現在でもためになる先人の教訓には及びもつかないでしょう。

 現在は、民間人でも宇宙旅行までも展望される、一瞬で世界の情報が入手できる、1秒間に天文学的な計算ができるコンピューターなどもあり、そのような科学技術の進歩は目を見張るものです。しかし、地球上における地震・津波・水害なども含めて何と犠牲者がいつも多いのでしょうか。なぜ、そのような技術が人々に結びつかないのでしょうか。

 インフラ整備や公共工事など本来広範に役立つべき工事が、一握りの政治家や儲けしか頭にない人達のものなのでしょうか。そして、事故が起きれば「想定外」などの発言を繰り返せばいいのでしょうか。いくら、そのような方が何十回も同じようなことを話されても国民の心に響かないのでしょうか。そんな方々に比べれば先人達は、当時の役人の仕事上を除けば、その多くが私利私欲を捨てて後世のために記録や石碑類を作成されたのだと思います。だからこそ、現代でも役に立つ教訓や示唆に富んだ内容が沢山あるのです。

私の関係ホームページ
 考古学は未来学
 大村大水害を語り継ぐことも大切では
 歴史を現在に生かす
 科学が後追いして地球の寿命を考える
 グーグルアースと古代の道
 福重のあゆみ
 大村の歴史

  私は、郷土史・地方史は、古記録だけでなく本当に地道な遺跡・遺物などの発掘・研究作業が基礎であり、現代と未来に起こりうる事象を読み解く一つの鍵(かぎ)だと思っています。誰も利用しないような無駄な公共工事に何百億円使うより、よほど現在に生きる私達にとって、このような活動が価値ある教訓と示唆が詰まっているのではと考えています。

 「先人の教訓は大切」と誰でも言えるでしょうが、言葉だけでは効果はありません。その教訓を引き出すためには、関係の予算化や広範な活動もしていかないと、名実とも「過去の教訓を生かす」ことにはならないとも思えます。上記(1)(7)などに示した先人達の記録は、そのようなことも教示しておられると私は考えています。また、先人の立派な教えは、”現在進行形”で今なお脈々と生きている災害対策とも言えます。

(記:2011年9月19日)
  

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