TOP INDEX BACK NEXT

聞いた言葉・第14回目、『21世紀のテーマ、自然と家族』

21世紀のテーマ、自然と家族

 21世紀を迎える前に、「今世紀を振り返って、次の世紀を探る」みたいな報道が、マスコミでいろんなテーマで盛んにおこなわれました。まだ、2002年半ばなのに、なんかけっこう以前の話しみたいに思えるのは、私だけでしょうか。まあ、時間や空間に差を感じない私のような者にとって、世紀の変わり目と言っても(はっきり見える訳でもありませんし)、今思うと大きな感慨は湧かなかったのかもしれません。

 ただ、100年単位のひとつの区切りには変りありませんし、その二世紀に渡って無事ここまできたのは(残念ながらそうできなかった方も多いなかで)、その時代に生きた者しか感じられないこともあるのかもしれません。

 少し前置きが長くなりましたが、20世紀の終わり頃、報道されていた中のひとつに「21世紀のテーマは、自然と家族」と言うのがありました。(ただし、誰が、どこの報道機関が言っていたのか、記憶にありません。しかし、この言葉自体は、覚えています)

 なぜ、このようなテーマになったのかの説明に、必ず言われていたのが、概要次のことでした。
 ・化学は人間が生み出したにもかかわらず、戦争、地球環境の破壊まで進んでしまった。
 ・経済第一を進めるがゆえに、企業・組織優先となり、結果家族が犠牲になってしまった。
などです。中には、「21世紀は戦争の世紀だった」と断定的に位置付ける報道もありました。

 この種のことが、数行くらいでまとめきれないことは、極当然のことだと思います。また、これらに対し、賛成、反対、異論いろいろあることは、想像できます。

 私も、上記の指摘は、その多くがなるほどと思われますが、ただ、全部ぜんぶ賛同かと言うとそうでもないような気がします。

 私は、20世紀スタート前と終わりと対比しても、この世紀は目覚ましい化学技術の発展ばかりではなく、人間(人類)にとっても大きな前進があった100年のような気がします。

 特に、同じ人間が人間を支配、抑圧、差別する考え方や態勢から(まだまだ完全ではないものの)少しづつ解放されてきたと言う点です。例えば、男女同権、植民地の独立などです。

 この中には、民族間、国家間など大きいことから、国内や地域、家庭内、男女間に至るまで、大は大なりに、小は小なりに、今現在では当たり前のことでも、100年前の状況や「常識」は、今日とは全く違っていたのではないでしょうか。

 上記のような人間同士の関係は、この日本でも縄文、弥生、平安、戦国、江戸時代など、何百年、何千年と、(明治維新などの一時期を除けば)大きく変らず徐々に変化してきた歴史があります。(自然界の長い歴史に比べれば瞬きにもならない人の営みながら)この20世紀の人間同士の関係は、どの世紀より劇的な変化を遂げたのではないでしょうか。

 また、人間関係が少しでも良くなりつつある中で、環境破壊、希少動物の絶滅など、取り返しのつかない、あるいは何とかしなければと言うことに気づいた20世紀後半でもあったと言えます。

 その意味からして、「自然や家族」を大事にすることは、大変いいことだと私は思います。ただ、このテーマはいちいち言わなくても、どの世紀でも極当たり前に、最も大切にされてきた事柄かもしれません。

 それを改めて問い直すところに、現代のこの事態の深刻さを物語っているようでもあるし、逆に人間の知恵がまだあることを証明しているのかもしれません。人ひとりのできることは限られていますし、できないことも多いと思います。

 でも、「ちりも積もれば山となる」のたとえの通り、何か小さな事柄でも一人ひとりやっていくなかで、何千、何万、何億人の単位になればきっと素晴らしいことも出来るのかもしれません。

 未来の世代から、たまたま借りて今現在生きている私たち20世紀と21世紀世代が、できればそのままに、あるいは少しでも良くして自然、家族、人間関係が引き継がれていけば、本当にいいなあと思います。(記:2002年7月6日)

TOP INDEX BACK NEXT