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聞いた言葉・第153回目、ぼろは着てても 心の錦

ボロは着てても 心の錦

  今回の言葉は、歌手の水前寺清子さんの大ヒット曲「いっぽんどっこの唄」(作詞: 星野哲郎、作曲: 富侑栄 )の歌詞からです。この歌詞の中に「ぼろは着てても 心の錦」という有名なフレーズがあります。(水前寺清子さんのオフィシャルウェブサイト は、ここからご覧ください)このサイトを見ますと、この歌は、昭和41(1966)年 11月に発売されたようです。この年代と言えば当時私は、中学生の頃と覚えています。(注:の意味は、国語辞典の大辞泉には次の「」内が書いてあります。「=金色の糸で美しい模様を織りなした絹織物。にしき」)

 この頃のヒット曲は、現在よりもロングランでした。それに例えば、町内会での花見とか親戚での何かの宴会の席上とかで、必ず大人の、しかも男の人が声張り上げて歌っておられたような記憶があります。

 つまり、今みたいに一部の人の好みに合ったような感じの歌ということではなく、それこそ名実ともに国民的大ヒット曲だったと思います。その要因は、誰でも歌いたくなるような、それに自分自身も、そこに居合わせた人含めて鼓舞するような歌詞の内容が受けたのだと思っています。

 この曲の時代と言えば”戦後”イメージは既になくなり、1964年に開催された東京オリンピックの2年後ですかから、”高度経済成長”真っ最中みたいな雰囲気だったのでしょう。そのよう中での力強い、国民応援歌と言いますか人生応援歌の曲だったのではと思い直しています。

 ただ、私は、この当時の歌詞をキチンと見た訳でもありませんし、何か調べたと言うことでもありませんでしたので、あれから(2012年10月現在で)約46年間、歌詞について記憶間違いをしていたことが、先日やっと分かりました。私は、ずっと本来「ぼろは着てても 心の錦」が正しいのに、「心は錦」だとずっと覚えていました。

 「の」と「は」の一文字違いに何の意味があるのか、私は説明できませんが、ただ、いったん先入観で覚えてしまうと長年気付かないものだと、毎回思います。あと、この歌詞の意味をさらに説明するのは、愚の骨頂みたいなものでしょうが、額面通りだけの内容ではないとも自分勝手に思っています。(歌詞全文は、検索サイトに「いっぽんどっこの唄」と入力してご覧下さい。いくつか表示されるようです)

 この歌詞全体を見ますと、分かりやすい表現ながら色々と意味のこもった内容とも思えます。このようなことを書きますと、「また、中年オッサンの昔話か!」と怒られそうですが、そればかりではないようにも私は考えています。つまり、何かを成し遂げよう、あるいは何かの目標を持ったとしても、その志を持ち続けることが大事であって、周囲にある様々な雑音含めて気にしていたら、なかなか前進しないと励ましておられるような気がします。

 つまり、自分が何をするにも、あるいは何かの失敗から学ぶにしても、どんなことになっても「心だけは錦」を着ているつもりでいないと、「心までもボロ状態になるのだ」と力強くメッセージされているようなことだと思います。この歌の大ヒットした当時より、むしろ今の時代こそ必要な言葉のような気がするのは私だけでしょうか。

(記:2012年10月17日)
  

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