美しく青きドナウ
今回の言葉は、当然、ヨハン・シュトラウス2世作曲の題名からです。いちいち補足の紹介をするほどでもないくらい有名なウィンナワルツの名曲ですが、 まずは三つの言葉を国語辞典の大辞泉から紹介します。それは、次の各<>内です。
<美しく青きドナウ=原題(ドイツ) An der schnen, blauen Donau 、ヨハン=シュトラウス2世作曲のワルツ。1867年作。初め男声合唱曲として作られ、 のちに管弦楽用に編曲。ウィンナワルツの代表作>、<ドナウ川=Donau ドイツ南部の山地に源を発し、バイエルン地方を横断してウィーン・ブダペスト・ベオグラードなどを経て ルーマニアとブルガリアとの国境を流れ、黒海に注ぐ国際河川。全長2860キロ。水運が発達し、北海方面へもライン水系の マイン川と運河で連絡する。ダニューブ川>、<ヨハン・シュトラウス2世 Johann Strauss=1825〜1899]オーストリアの作曲家。の長男。ウィンナワルツを芸術作品にまで向上させ、 約500曲もの作品を残した。ワルツ王と称される。作品に「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」、オペレッタ「ジプシー男爵」「こうもり」など>
私の、この曲の出会いについて書きます。もう50年前位になると思いますが、中学校1年生頃、音楽の授業時間で始めて聞きました。 当時、今みたいなアンプやスピーカーなどが、セパレートしたオーディオ・システムではなく、 まるで家具調みたいな4本脚のステレオ(アンプ、レコード・ターンテーブル、スピーカーなどが一緒)形式でした。
当然、(私は中まで見た訳ではありませんが)アンプの中身は真空管だったでしょう。このタイプは、全国では普及していたのかもしれませんが 誰でも彼でも持っていると言う状態ではなかったと思います。さらに、LPレコードとなると今のブルーレイやDVDより、もっと高価な感じがして枚数多くそろえることは、短期間ではできなかったような気がしています。
私は、自宅には当然この種のステレオはなかったので、授業時間に色々な曲を先生がかけてくれたので聴いていました。そうは言っても 学校の時間ですから歌謡曲などはなかったですが、その分、クラシックの曲は色々と先生の事前説明付きで、たまに睡眠薬みたいに効き目が あり、しばし音楽の授業が居眠りタイムになっていました。
ただ、私が大人になってからもクラシック嫌いにならなかったのは、この学生の頃に聴いたためと思われます。 その影響からか、ずっと何か耳に残る、印象ある曲なら今でも聴きなおすことがあります。その中でも、この美しく青きドナウは、大変良く聴いた曲の一つです。
それは、なぜか。私の20才前半くらいからウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート(毎年1月1日、ウィーン楽友協会の大ホールでの演奏会)を FM放送やテレビ中継などで聴いたり見たりしたからだと思います。 このコンサートでは、必ず後半のアンコール曲として、この「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」が演奏されるからです。新年の華やいだ雰囲気の中で、陽気でテンポの良いウィンナワルツの名曲は、「いつ聴いても、いいなあ」と思っています。
あと、この曲にまつわる映画の話しです。 1972年制作、美しく青きドナウ(The Great Waltz、主演:ホルスト・ブッフホルツ)は、私にとって大阪に就職して2年目頃に見た映画で印象深く覚えていました。極簡単にストリーを言いますと、作曲家ヨハン・シュトラウス2世の半生を描いたものです。この映画では、全編で25曲ほど流れるのですが、美しき青きドナウだけでなく、皇帝演舞曲やピチカートポルカなど、聞き覚えのあるような曲ばかりでした。
この曲は、今から145年前に作曲されたのですが、現在でも演奏会だけでなく、CM、その他、たくさん流されているようです。また、オーストラリア国民にとっては、「第二の国歌」と呼ばれるくらい親しまれ、大事にされている曲のようです。ワルツを踊る方々ばかりではなく、明るくて小気味良いテンポで、それでいて心豊かに和やかにする曲は、何回聴いてもいいなあと思うばかりです。
美しき青きドナウは、これからも音楽がある限り、ずっと何世代にわたっても親しまれる曲なんだろうとも思えます。だからこそ、「ヨハン・シュトラウスの最高傑作」とか「名曲中の名曲」と呼ばれる由縁なのでしょう。