聞いた言葉・第232回目、「核兵器も戦争もない世界を」
核兵器も戦争もない世界を 今回の言葉「核兵器も戦争もない世界を」は、長崎新聞の2024年12月11日の1面の大見出しからです。この日のずっと前から、テレビや新聞で「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)にノーベル平和賞が受賞」とのニュースが、全国で流されていたので多くの方も、ご存知だったでしょう。
この演説内容は、日本国内だけでなく、世界中の核兵器廃絶や平和を望む多くの方々へ、賞賛と感動を持って反響があったことも報道されていました。 ここで、「共同通信ニュース用語解説」から、改めて「広島原爆」「長崎原爆」を書きます。 ・広島原爆----1945年8月6日午前8時15分にさく裂した、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが広島市へ投下したウラン型の原子爆弾。「リトルボーイ」とも呼ばれる。市中心部の広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)付近の約600メートル上空で爆発。爆心地周辺の地表面温度は3千~4千度に達したとみられ、同年末までに約14万人が死亡したとされる。長崎にも9日にプルトニウム型原爆が落とされ、推計7万4千人が亡くなった。 ・長崎原爆----1945年8月9日、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」が長崎市に投下したプルトニウム型原子爆弾。通称「ファットマン」。午前11時2分、長崎市松山町の上空約500メートルでさく裂し、付近の地表温度は3千~4千度に達したとされる。市の推計によると、爆風や熱線などで同年末までに約7万4千人が亡くなり、約7万5千人が重軽傷を負った。被爆者の中には、白血病や各種がんといった放射線による健康被害に苦しみ続けている人も多い。 上記の解説文の通り、広島・長崎原爆での両市の犠牲者だけでも約21万5千人です。また、なんとか命だけは助かった方でも重軽傷者は、おびただしい人数と聞いています。さらには何十年も後遺症などで、今でも苦しんでおられる方も多いようです。 (下記の原稿は、準備中。 しばらく、お待ちください) |
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