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聞いた言葉・第24回目、
『ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな』

 ふるさとの山に向ひて 
 言ふことなし 
 ふるさとの山はありがたきかな 
                   石川啄木


 この有名な詩は、私も学生時代に習いました。ただし、テストか何かのために暗記したことはあっても、この詩の実感までは当時、分かりませんでした。田舎を離れ暮らしていた私の大阪時代(25年間)、帰省する時、飛行機の窓から見える大村の山やまを見るたびに「ああ、帰ってきたなあ」との実感が、まず湧きました。

 啄木が、ふるさと渋民村から眺めた岩手山ほど名山ではありませんが、ここで、私がいつも見て育った山について書きます。誰かに「大村で親しまれている山を三つだけ上げよ」と言われれば、次の(仮の名称として)「大村三山」を上げます。hana01.gif (109146 バイト)

 経ヶ岳(きょうがだけ1,076m、長崎県大村市と佐賀県の県境にある)、五家原岳(ごかはらだけ1,057m、大村市、高来町、諫早市の境にある)、郡岳(こおりだけ826m、大村市内ある)です。

 あと頂上は、大村市と境も接していませんが、多良岳(たらだけ982m、長崎県と佐賀県の県境にある)は、登山口の一つが大村側(黒木)にもあり、便利なため(バスの停留所などあり)市民に親しまれている山です。

 また、多良岳、経が岳、五家原岳、郡岳などを総称して、多良山系と呼ばれています。この山系誕生時は、一つの火山から形成されたと大村の歴史などを聞いた時教えてもらいました。

 今上げました「大村三山」の中でも、特に、私にとって郡岳(こおりだけ)は馴染みの深い山です。この郡岳は、大昔から福重・大村の歴史に登場する山です。(住んでいる地域は一帯の町名を総称して郡地区と呼ばれ、中学校の名称も郡中学校でした。私は、その前の福重小学校も入れれば、この山を見ながらずっと9年間登下校したことになります。また、夏の下校時に遊んだ川は、郡川(こおりがわ)の支流の佐奈河内川(さながわちがわ)でした。

 この山に重そうな雲がかかり始めたら、もう直ぐ雨かなと思ったり、吐く息が白くなる北風の朝には、雪がふったかもしれないと思いながら見ていました。それよりも、何よりも緑濃い優しい山容が青空に映える時期には、なんかほっとした感じでした。

 「ふるさとは遠くにありて思ふもの」(室生犀星)と言われていますが、私も大阪時代そうでした。色々な事柄から、ムシャクシャ気分になっても、落ち込んでも寝る前に田舎のことを思い浮かべると、その時一瞬だけでも気が休まりました。

 そんな田舎の風景に出てくるのが、子供の頃からずっと眺めていた田舎の山、川、田んぼや海でした。自分は、それなりに歳もとり、色々と変っても、たまの帰省時に見るこの山々は、ほとんど変りませんでした。飛行機の窓から見る山は、その時の気分によって「いつまでも、おまえはアホなことやっているなあ」とか、「最近、調子良かじゃなかか」と言われたみたいでした。

 学生の頃(たとえ丸暗記させられたかもしれませんし、また、啄木ほどの心境にはなれなくても)、このような優しく素晴らしい詩を覚えて、大人になってから、なんか良かったなあとも思ったものです。

 あと、啄木の詩は、私のような者でも平易で覚えやすくもあり、また、いつまでも忘れず、年取ってもその時の場所柄や気分きぶんで、何とはなしにポットと出て来るものが多いです。庶民に何世代も渡って親しまれてこそ、いい詩や文学と思いますが、やはり啄木は天才歌人と呼ばれても当然のような気がします。(記:2003年3月13日)

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写真説明:郡岳(左側826m)、経ヶ岳(右側1076m)、郡川(手前)と、その中は郡川のうなぎ塚

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