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聞いた言葉・第32回目、お国訛りはその国の誇り

お国訛りはその国の誇り

 今まで私は、この言葉を何回となく聞きましたが、良く覚えているのは、(私の大阪時代に)親戚の方が、その娘さんの大学卒業と就職祝いに長崎から梅田に来られた時のことでした。飲食店に入り、長崎弁で注文された時、娘さんが「恥ずかしい」と言われ、その時すかさず、「お国訛りはその国の誇りたい。良かたいねえ」と返事されました。

 また、私は言葉について1993年スイスに行った時「えっ」と言う思いがしたことがあります。スイス(人口は約726万人)には九州ほどの大きさに公用語としてドイツ語(約65%)、フランス語(約20%)、イタリア語(約10%)、ロマンシュ語(約1%)の4言語があることが分りました。

 その中で、私が驚いたのはロマンシュ語でした。ガイドブックなどには、「最初スイスの公用語は、独、仏、伊の3カ国語だったが、その後このロマンシュ語も加えられた」と書いてありました。しかも、(後で調べたところ)この言葉を話す方々が保存することと公用語にすべきだと言う努力の結果だと書いてありました。

 詳細なことは知りませんでしたが、その時、「えー、そうか、一地方の話す人口も少ないはずなのに、スイスでは言葉を大切にしているんだなあ」と感心しました。

 それから、少しだけですが、日本の方言についても、逆の意味で考えるようになりました。日本では、北は北海道から、南は九州・沖縄まで、それはそれは多彩な文化や郷土色が含まれた豊かな言葉があります。また、方言について文学にも多く登場していますが、天才歌人と呼ばれている石川啄木は、ふるさとの言葉について次の有名な詩を詠んでいます。

 ふるさとの訛りなつかし停車場の
 人ごみの中に
 そを聴きにゆく

もちろん、この詩が詠まれたのは今のようにマスコミなどが発達していない頃ですが、啄木のこの気持ち私にも分るような気がしました。

 また、松本清張の推理小説『砂の器』では、事件を追う重要な方言として「亀嵩(かめだけ)」と言う地名について、東北弁と島根県出雲地方の言葉(出雲弁)の共通性が出てきますが、私は「へー、そうなんか、島根と東北は離れているのになあ」と本を読んだ時そう思ったものです。

 それに私は、旅行して思ったのですが、方言を話す女性が若い人でも年配の方でも、なんか可愛いらしく感じました。居酒屋などで女将さんから「こん魚はうまかとよ。食べてみんねえ」(この魚はおいしいですよ。食べてみてください)」などと言われたら調子者の私は、大抵食べていました。

 また、ある客室乗務員と話す機会があり着陸前機内アナウンスの件で、次のような話しをしました。もしも、長崎弁であなたが、「大阪空港ば、出発したこん169便はもうじきんで長崎空港に着きますけんが、シートベルトば付けてまっとってくんなんせ。機体はちった揺れても飛行にゃあ影響なかですけんが、心配せんちゃ良かけんね」などとアナウンスされたら、本当に安心して(長崎弁を話す)お客さんは乗っているでしょうねと。

 以上のような例をわざわざ上げなくても、方言はその地方の環境や歴史それにあらゆる文化が溶け込んで、育んだ味わい深く、その地方ではないと到底育たない特産物か宝物のような気がします。同じ地域内でも、さらに年代差によっても少しづつ違うのが、また、その時代その世代を投影しているような気もします。

 しかし、残念なのは戦後ラジオやテレビなどの発達により「標準語」や共通語などが、日常普段の例えば学校や各種の公式行事などで使われ、そのように話さないといけないような雰囲気があることです。しかも、地方出身者が都会に行くと、このページ最初に書いた通り、恥ずかしがってしまって、なかなか人前では話さなくなってしまうことです。

 まあ、何がなんでもとまでは言えませんが、大村(長崎)弁(それに大阪弁を少し話す)私としては、テレビやラジオなども、せめて地方局くらいはアナウンサー含めて方言丸出しの番組があっても楽しいかなあと思うのですが。

 貴重な動植物や地球環境保護が大きな世論になりつつある現在、その地方のその地域の方々が育ててきた独特の訛りや方言が、段々なくなっていくのは何か大事なものをなくしてしまっているような気がします。訛りや方言も「標準語」や共通語以上に全国的に大事にされればいいなあと思います。(記:2003年7月11日)

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