コンピュータはソフトがなければタダの箱
この言葉は、私がコンピューターに触りだした20年前くらいでしょうか、職場の同僚から聞いたのが始めてだったと思います。その後いろんな本や多くの方々から見たり、聞いたりしました。
当時私は、マッキントッシュのコンピューターを初購入した関係上、その後のウィンドウズ系のパソコン含めて、いまだに両系統をそれぞれの目的に使っています。
この言葉を聞いた最初の頃、ポカンとしたものでしたが、徐々に簡単文章などを書きはじめて、少しづつそのの意味が分かりかけてきました。私は(正確ではないですが)主に順番的には、文書、プリンター、葉書、スキャナー、ページレイアウト、ブラウザ、Eメール、表計算、データベース、デジタルカメラ、写真加工、ホームページ、プレゼンテーション、CD・DVD作成などのソフトをコンピューターに入れてきました。
最初の頃は、「あーやっぱり、コンピューターは、このソフトを入れて初めて使えるんやなあ」と思ったものです。(お恥ずかしいです)
段々とコンピューターの仕組みも分かりかけてきて(そうは言っても、マダマダ入口段階程度だと思いますが)、ソフトしだいではとても把握できないほどの多機能であることも知りました。さらに、使い方しだいでは、いくらソフトを購入しても「タダの箱」にもなるし、「宝の箱」にもなることも分かりました。
けっこうなお金を出して買ったソフトの箱が本棚の上にいくら乗っているでしょうか。話し脱線しますが、当初のソフトの箱は百科事典以上に大きくて邪魔していました。(上げ底、幅広げが当り前みたいな感じでした)また中には、ソフトのバージョンアップ宣伝に乗せられて、あるいはその新機能を使いたいばかりに、買ってはみたものの結局慣れた従来型のものに戻ったということもありました。
また、私だけかもしれませんが、「餅屋はもちやのソフト」がいいなあと思って使っています。例えば表計算でもホームページ作成ソフトでも、文章は書けますが、私の場合、文章だけならマキントッシュなら「シンプルテキスト」、ウィンドウズなら「メモ帳」などで書いた方が手っ取り速いし、余分なデータも含まないのでいいかなあと思っています。
当然最後は目的のソフトに貼り付けをしますが、A4サイズベース何十ページあっても、何秒もかからないのでかえって便利だと私は思います。パソコンは、結局のところソフトの使いやすさが、親しみが湧き、なんか長いお付き合いが続くような気がします。(記:2004年1月1日)