たゆたえども沈まず
この言葉は、1986年2月、ヨーロッパに行く前に読んだエールフランス航空のガイドブックに書いてありました。(このガイドブックのことは、2003年に掲載した「百の書物よりも1本のワインの中に哲学がある」のページにも書いています)
まず、「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur.) 」の言葉の元々は、帆をいっぱい張った船が描かれているセーヌ川水運組合の紋章からだそうです。銘文はラテン語で書かれています。その後、パリ市の紋章になったようです。
この言葉の「たゆた」とは、国語辞典では「心が不安で揺れ動き、定まらないでいるさま」の意味です。私はラテン語は全くわかりませんが、この日本語訳はなんか万葉集に出てくるような響きもあり、短いながらもなかなか味わい深い言葉だなあと思いました。
|
セーヌ川
|
船乗りさんたちの組合ですから、「船が揺れるのは、まあ、しょうがない。でも、けっして沈むことはないぞ」と言う心意気も私は感じました。パリ市も、船乗りさんたちと同様にヨーロッパの十字路、世界的にも重要都市で、幾多の戦争や紛争にも巻き込まれながらも、沈むことなく現在でも確固たる役割を果たし、世界中から注目されている都市です。
私も、日本からヨーロッパ各国への乗り継ぎ(シュルル・ド・ゴール空港)の関係もあり、パリ市内には今まで延べ20日間くらいは滞在したと思います。その度に、世界各国からの観光客であふれ、なんとまあ、多くの人種や言語があることかと、いつも思ったものです。
私は、ルーブル、オルセー美術館さらにはノートルダム寺院まで行く時、セーヌ河畔を何回となく歩いて行きました。セーヌ川の流れは、遊覧船(バトームーシュ)がとおる時には少しだけ波立ちますが、それ以外は、ゆったり、のったりで、まるで私が歩く速度より遅いのかなあと思うくらいでした。けっこう流れの速い日本の川を見慣れている私にとって、これも川なんだなあと思ったものです。
人には色々な生き方が、それこそ人それぞれにあるかと思います。自分の考えと行動力を信じて、それを貫き通されるような立派な方もいらっしゃいます。また、自分の心ならずとも、やむを得ず、仕事やその他共同歩調を取っておられる方も、これまた沢山いらっしゃるかと思います。
はた目から見れば、自分を押し殺し、妥協してばかり見える人でも、それは当面の生活や仕事の乗り切りをはかるためだけであり、頭の中では、ちゃんと流れの行き着く先を見据えておられるような方もいらっしゃるかと思います。
どちらにしても、この言葉通り、「どんなに漂っても『沈まない』ことが一番大事であって、色々流されても、浮いている限り、また、元の航路に戻れるのだよ」と、私には聞こえます。なかなか難しいですが、漂いつつ流されつつも、できれば沈まずにゆったりと河口を目指したいです。
(記:2004年1月15日)