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聞いた言葉・第61回目、教え子は一人もいないが、教えてもらった生徒さんは沢山いる

 
教え子は一人もいないが、教えてもらった生徒さんは沢山いる

 この言葉は、教職を勤め上げられたOBのお二人(私の大阪時代にお一人と現在の長崎県内にお住まいの方)から、ほぼ同種のことをお聞きしました。居酒屋で色々と現役の頃やOBになられてからの話が続きました。そのような中「上野さん、私には一人も教え子がいないのですよ」と言われたので、私は「えー、なんでえ、何十年も先生しておられたのに」と言う顔をしていました。

 良く聞くと「私と同じように教職していた者の中には学生さんのことを”教え子”と言っておられるが、私は、むしろ毎回まいかい生徒さんに教えてもらうことばかりだった。だから、教え子は一人もいないが教えてもらった生徒さんは沢山いると言っているのです」とのことでした。私は、この説明を聞いてやっと理解して、なんと謙虚な先生だろうなあと思いました。

 中国の孔子は素晴らしい先生であり哲学者であったかもしれませんが、むしろ私は論語(今流に述べるなら学問のデータベースでしょうか)を書き残したお弟子さん達も先生に負けずとも劣らない業績だったろうと思います。もしも、論語が記述されていなかったなら、孔子の言葉が、これほどまでに後世に伝わらなかったでしょう。

 また、テレビだったと思いますがある時、慶応大学の話題が放送されていました。それによると明治か大正時代の頃、慶応大学内では”先生”と呼べるのは創始者の福沢諭吉だけだったと。

 あとの教授の方は学生さんから「・・・さん」、「・・・君」付けで呼ばれていたとも聞きました。もしも、これが本当のことなら、私は福沢諭吉先生よりも「・・さん」付けで呼ばせていた当時の他の教授の方々が、私は立派だと思いました。

 あと、私の大阪時代にある弁護士さんから(マスコミで他の弁護士が問題起こした報道を受けて)色々とお聞きました。

 弁護士さんいわく「大学、司法修習を経て弁護士事務所に入って若い時から直ぐに皆さんから”先生、せんせい”と呼ばれているが、実際は本当の社会勉強をしていない者もいるのだよ。ある種の閉鎖社会で法律の勉強はしていても、世間知らずで人の勉強はしていなかったと言うことだろうねえ」と言っておられました。

 肩書きや職業それ自体に威厳が感じられる時代は、日本では昔のことみたいになってきました。中には肩書きを欲しがる方や、いつでもどこでも、そう他人に呼ばせたい方も当然いらっしゃるかもしれません。でも、そのような肩書きが全くなくても社会に役立つことをされた方、あるいは地道に頑張ってこられた方に対して、一般の方は現役であろうがOBであろうが極自然に畏敬と尊敬の念を込めて「・・・さん」と呼んでおられるようです。

 先生と言う職業は今も昔も、色々な方に様々な知識(学問)を教えること、それ自体は変わりないと思います。冒頭述べられた先生方は、生徒さんにその自らの知識を教えつつ、逆に生徒さんから出されている質問、疑問あるいは様々なシグナルを新しい知識として感じとっておられたと言うことでしょうか。

(記:2006年9月11日)

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