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聞いた言葉・第64回目、たががゴミ袋、されどゴミ袋

 
たががゴミ袋、されどゴミ袋

 この言葉を述べる前に少し経過から書きます。私は長崎県の高校を卒業し、大阪に就職しました。(私のプロフィールはここからご覧下さい)その時ある市に会社の寮が当時あり、そこに住んでいました。寮の管理人さんから、たまに市の名前の入った紙袋をもらいました。つまり、この市は早くから月数枚単位で世帯別でゴミ袋が支給されていたのです。(現在は、どうなのでしょうか、この市のホームページでは支給されているようですが)

 高卒で田舎から出てきたばかりで何にも知らず、その時は「へー、こんな袋もらえるのか」と思って、独身でも何週間か経てばゴミは溜まるものですから、それなりに重宝していました。さらに時はたち、市議会議員か市長選挙があり、市内をまわる選挙カーで、なんかゴミ袋のことがけっこう言われていました。

 当時、市民への無料支給のゴミ袋制度をなくそうとする動きもあったようで、それで「それはおかしい」との声が出ていたのでした。その中で言われていたのが、今回の言葉(概要ですが)「たかがゴミ袋と思われるでしょうが、されどゴミ袋です。身近なこと、小さなことが市民に対して出来ないのに、なぜ大きなことがキッチリ出来ると言うのでしょうか」とのことでした。

 私はある事情があり、この市には2年間しかいなくて隣の市に引っ越したので、その後のこのことは良く覚えていません。ただ、燃えるゴミ袋支給は、そのまま継続されたと同僚から聞きました。私の引っ越した市では、そのような無料支給はなかったです。(阪神大震災などもあり同じ市内で数回引越しながらも、この市には長崎県に戻ってくるまで約23年間いましたが、そのようなことはありませんでした)

 また、こちらに戻ってきたら無料支給はおろか自分で年数回、市指定の有料ゴミ袋をまとめて購入しています。知り合いの方に、私の大阪時代にあった話をすると全く逆のことでもあり、「えっ、そんなことをその市はやっているの。いいなあ」と驚いておられる方もいました。

 全国どこに行っても何らかの形で、国・都道府県・市町村単位で最初から明らかに無駄、需要予測が過大、先の見通しの立たない公共工事が、県民・市民のためと称し、何億、何千億、なかにはそれ以上かけておこなわれています。もう誰の目でも破綻明らかな事業もあります。

 日本の政治家などは、人と話される時には「あの立派な庁舎や橋を見てくれ。あれは自分が頑張ったから出来た」みたいに言われます。なぜ「日々、選挙民の生活のできる、幸福な姿を見るのが私の誇り、自慢です」にならないのでしょうか。国民生活を省みずに、どんな大言壮語で立派なことを言いながら大きなプロジェクトをされても無駄な事業で財政破綻するようなことになれば、それは資源ゴミにもならなかった政策ではないでしょうか。

 若い時には何にも意味も分からず、今頃になって少しだけ分かりかけて来た自分が恥ずかしいですが、はるか30数前に聞いた「たかがゴミ袋、されどゴミ袋」の言葉は、もっと深い意味があったのだなあと思いました。

(記:2006年11月11日)

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