聞いた言葉・第66回目、『孤高の美しさ マッターホルン』
孤高の美しさ マッターホルン
(今回、このページ作成に当たり長崎県大村市在住のNさんから、マッターホルンの写真と撮影当時の想い出話を頂きました。感謝申し上げます。その原稿の『マッターホルンを撮った時の想い出』は、ここをクリックして、ご覧下さい)
なお、ご参考までに植村さんが登られた5大陸最高峰とは、ヨーロッパ:モンブラン(MontBlanc 4,807m)、アフリカ大陸:キリマンジャロ(Kilimanjaro 5,895m)、南米大陸:アコンカグア(Aconcagua 6,960m)、アジア大陸(世界最高峰):エベレスト(Everest 8,848m)、北米大陸:マッキンリー(Mckinley 6,194m)です。あと現在一般にヨーロッパ最高峰は、ロシアにあるエルブルース(Elbrus 5,642m)と言われていますが、当時のニュースは先に紹介した通りモンブランを指していました。 私は登ることは出来なくても、この5大陸最高峰はどこにあるか、地図で探し写真などでも確かめていました。その後社会人となり、登山の月刊誌などで山岳写真を見る機会が増え、スイスアルプスには三大北壁=マッターホルン(Matterhorn 4,478m)、アイガー(Eiger 3,975 m)、グランド・ジョラス(Grandes jorasses 4,208m)もあることも分かりました。その中でもひときわ目を引いたのが、マッターホルンでした。 あと、プロの方が撮られた美しい山岳写真に興味を持ち、いずれ登山はできなくても山の麓から、写真を撮ってみたいなあと思うようになりました。その結果、まあ向こう見ずにもプロ用の中型カメラ、アサヒペンタックス6×7(通称:ロクナナ)まで、購入してしまいました。(このカメラについては「私のカメラ紹介」ページから、ご覧下さい) それからずっとマッターホルンは私にとって憧れであり、いずれ機会あれば登山基地になっている麓のツェルマット(Zermat)や展望台からカメラで撮ってみたいなあと、長年思っています。(ご参考までに、ここの『スイス・ウェブカメラから毎日マッターホルンの画像』が見れ、拡大画像も表示されます) そして、この山の魅力は何なのかと言うことです。それはなかなか表現しにくいものですが、第一印象ピラミッドのような尖った、どこにもないような珍しい山の姿でしょうか。 あと、私はそれ以上に、まわりに何もないかのごとく一人で聳え立っている、つまり、孤高の美しさ、孤高の美にひかれます。孤高の山と言えば富士山も含め国内外に有名な独立峰が数々ありますが、このマッターホルンの姿は抜きん出て素晴らしく、形容する言葉が見つからないくらいです。(山の印象は、私の文章より、むしろ実際撮影された方の下記原稿を読んで頂けないでしょうか) また、人の社会においても周りが「あーでもない、こーでもない」と騒いでいても、それらの考えに動じることなく自分の信念と意志を信じ悠然と、どっしり構えておられる立派な方もみかけます。さらには仕事や生活をする上で「長い物には巻かれよ、お金には頭下げよ」みたいな処世術を知りつつ、そのフリをしながら実際はしっかり先を見据えておられる人も、これまたなかなかの方だなあと思っています。 あと、今回辞典で孤高などの字句を調べていましたら偶然にも「彼は孤高を保っている He keeps himself above all the vulgarity around him. 」という英訳がありました。英語ができない私でも、まあなんとストレートな言い方かと思いつつ英語らしいなあとも思いました。 孤高の美とまで言われるには、山でも人でも長年の研ぎ澄まされた自らの努力と信念が、たとえ何を語らなくても他の方には見えるのかなあとも思います。それらの対局にいる私は、せめても孤高の美しさを撮りにスイスにカメラ持って行ってみたいと考えています。 |
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マッターホルンを撮った時の想い出 大村市在住のNさんより 私が、このマッターホルンを撮影したのは、(日時の特定はできませんが)1977年8月です。この日は、朝から快晴で山歩きがしたくなり少々がんばった記憶があります。私の旅は、いつも貧乏なもので少しでも出費を抑えるためゴルナーグラートへは行けませんでした。 そこで、その反対側のフィンデルン(Findeln)村を経由してウンターロートホルン(3,103m)までロープウェイを乗り継ぎ一日過ごしました。途中、スネガ(Sunnegga)からロートホルンまでの中間にブラウヘルトというところがあり、そこから少し歩くと池があります。名前はステリゼー(Stellisee)です。ゼーとはドイツ語で湖のことで、ドイツ語圏の国では至る所にこの言葉が使われています。ステリゼーの高さは2,600m以上だったと記憶しています。 マッターホルンとの最初の出会いは,1971年の6月でした。前日夕方,雨の中ツェルマットのユースホステルに着いた私は、マッターホルンも見られず疲労と空腹でかなり落ち込んでいたのですが、夕食後は明日の朝、絶対晴れるという期待と希望で満ち足りていました。その日の夜は、アメリカ人とカナダ人そして私の3人が同室でしたが、おたがいの旅の情報交換をし、それぞれ深い眠りにつきました。 次の日の朝、部屋の窓を開けたとき本物の巨大なピラミッドとの感激の出会いが待っていました。真っ青の空と真っ白な雪で身を飾った山との景観は言葉をなくすほどのものでした。その時、私の両頬を流れ落ちたものがあったことは言うまでもありません。本物との出会い、探し当てた時の感激、これこそが私が旅で求めているものかもしれません。 その時の旅では、色で表すとフィンランドの白樺の白、エイゲ海の青、そしてマッターホルンの白色が印象に残っています。1977年のマッターホルンも快晴での再会でした。相性というものがあるなら、感じるものがあります。もう一度、彼らアルプスの巨峰たちに会いに行きたいものですね。 |
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(記:2006年12月21日) |