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聞いた言葉・第71回目、炎の画家ゴッホ

 
炎の画家ゴッホ

 私は、絵は全く素人ながら描かれているものがはっきりとした絵画(山などの風景、農村、人物など)が好きです。パリやローマの美術館でよく見る宗教画も素晴らしくいいのがありますが、でも例えばゴッホやミレーなどが描いた農夫や麦畑風景は、なんか頭にそのまま残って離れません。私自身農家出身で田舎育ちですから、所は違っていても似たような農村風景は、なんの虚飾もなく同じですから親近感を覚えるのかもしれません。

オーヴェル・シュル・オワーズ、ラブー亭(Auberge Ravoux)
 ゴッホ(VINCENT VAN GOGH 1853-1890)の絵と言えば、私は学校の教科書で見たのが最初でした。実物は、1993年10月(『スイス・パリ旅行記』参照)、オルセー美術館で初めて見ました。しかし、この時は駆け足で見たので悔やんでいましたが、次の1996年9月(『ローマ・パリ旅行記』参照)再度見る機会がありました。

 この旅行時、ほかにも色々な絵画を見ましたが、やはりゴッホの絵は、独特で強い主張を持った絵だなあとつくづく思いました。なぜ、ゴッホの代名詞ともなっている「炎の画家」と呼ばれているのか、詳しくは知らなくても分かる感じはしました。

 ゴッホと言えばフランスの絵と言う印象が強いのですが、出身はオランダです。ですから意外とフランスに所蔵されている絵は少ないようです。オルセー美術館よりも(私は行ったことがないのですが)アムステルダムのファン・ゴッホ国立美術館の方がゴッホの絵のは多いのではないでしょうか。

 ただ、オルセー美術館にもガシェ医師の肖像、アルルの女(ジヌー夫人)、イタリアの女、アルルのヴァン・ゴッホの部屋、オーヴェル・シュル・オワーズの教会、自画像などが所蔵されています。(人気作品なので、どこかに貸し出されている場合もあるようで、私は全部見た訳ではありません)

 パリから電車や車を利用して1時間半くらいの所にAuvers-sur-Oise(オーヴェル・シュル・オワーズ)と言う町があります。ここはゴッホが最晩年を過ごし亡くなった所です。フランス語版のホームページによりますと、ゴッホはこの地で1980年約70日間を過ごし、約70枚(つまり1日1枚くらいの)絵を描いたと言われています。

 今回、この町を取り上げるのには、一つ理由があります。このページ右上掲載写真の『
ラブー亭(Auberge Ravoux)』は、大村市在住のNさんが撮られたものです。掲載上、画像が粗く見えるかもしれませんが、実物は建物や青空の色など、なかなかいい写真です。

オーヴェルの教会
 このラブー亭(Auberge Ravoux)Ravouxは「店の名前)」Aubergeは「宿、宿屋」の意味があるようです。ゴッホは、この建物の屋根裏部屋に住み、最後息を引き取ったと言われています。1階はレストランとして近年まで営業していたようですが、現在は建物全体が保存されているようです。

 ゴッホの絵は生前1枚の絵以外は全く売れなかったと言いますが、このオーヴェル・シュル・オワーズでも数々の名作を描きました。中でも有名なのが、オーヴェルの教会、ガシェ医師の肖像、烏の群飛ぶ麦畑などは、美術の本などで見たのも多いです。

 私は、その中でも『オーヴェルの教会』は、独特の空の色、実物と違ってゆがんだように描かれている教会、明るい色の草木や小道など、いずれも忘れがたく、印象に残るものです。しかも、非常に力強い絵筆のタッチが私のような素人にも明確に分かります。

 また、この絵は色々な解釈もされているようで、例えば左の婦人の服装はフランス風ではなくて生まれ故郷のオランダの衣装ではないかとか、ゆがんでいるような教会や独特の空の色などの描き方は、自らの何か不安さを表現したのではないかと色々な説もあるようです。

 確かにそのようにも見えるのかもしれないですが、ゴッホの絵は元々が筆のタッチが強く、何層にも厚く塗るような描き方ですから、他の麦畑の絵と同じような発想や手法なのではないかなあと、私個人は思いました。

 ゴッホは37歳の若さで亡くなったのですが、その生涯にわたって物心両面の支援をした弟テオ以外に絵の理解者も生前なかったと言われています。それが現在1枚の絵だけでも何億何十億と言う値段で取引されていることを、この兄弟が聞いたら驚かれることでしょう。

 生活の困窮、精神の病、他の人との付き合いとの関係などで、絶望にも似た日々があったと思われますが、それでもなお、ゴッホは燃えるような情熱でキャンバスに向かったのではないかと、これらの絵を見ると改めて想像します。「炎の画家」と言うゴッホの代名詞は、描き方も含めて彼の生き方そのものを表しているような表現ではないかと思いました。

(記:2007年1月26日)

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