京童唄
私は、大阪で丸25年間働いていた関係上、観光などで京都へも数えきれないくらい行きました。風景、建物、衣類や食べ物に至るまで、何か”京都”と言うだけで風格と言いますか、格式を感じていました。色んな所に神社仏閣もありますし、ちょっとした案内板見ただけでも歴史の教科書に乗っていたかなあと思う場所もたくさんありました。
食べ物について、名前まではほとんど忘れてしまいましたが、私のような庶民でも箸がでるような例えば、湯豆腐、手桶弁当、和菓子など、回数多く食べたような記憶があります。当然、うどんや蕎麦なども食べましたが、長崎県に戻ってからは、ほとんど忘れていました。
そんな中、2007年1月に大村市在住の方から、京都・錦 冨美屋さんのうどんをお土産に頂きました。この時、買い物袋を見ると掲載画像のような京童唄(きょうわらべうた)が刷り込まれていました。今回は、この童唄(童歌)ついて、取り上げたいと思います。
本題に入る前、冨美屋さんの『しっぽくうどん』、『しのだうどん』を食べましたが、この出汁が懐かしい味付けで「あー、そうだった、これが京都風だったなあ」と思わせるような味わい深いものでした。
次に、この京童唄の歌詞ですが、このページの掲載画像の通り、京都東西通りを読みこんだものです。順番に「丸太町通、竹屋町通、夷川通、二條通、押小路通、御池通、姉小路通、三條通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、四條通、綾小路通、沸光寺通、高辻通、松原通、萬寿寺通、五條通」で、合計18の通り名です。
素人ながら郷土史などに興味ある者として、まず最初ここに登場する通りや地名は、様々な由緒や出来事があり、しかも京都ゆえ千年、二千年あるいはそれ以上の歴史があるだろうなあと思いました。
たぶんに通りや地名の由緒や歴史を書くだけでも、かなりのページ数か一冊の本が出版できるくらいのボリュームになるのだろうなあとも考えました。また、私だけかもしれませんが、どんな小さな通りにも名前の付いているパリやローマの通りと似ているなあとも連想しました
この京童唄自体がいつごろからあるのか分かりませんが(相当古くからあるのかもしれませんが)、昔の人はやはり偉いなあと思いました。子どもの頃から、この歌詞を自然に覚えていれば馴染みがあるので、直ぐ漢字も書けるのではないでしょうか。
また、子どもさんが、ちょっと遠くまで行って戻ってくる時も、この歌を覚えていれば便利だろうなあと思いました。それに観光客の多い京都ですから、誰からか道を尋ねられた場合、「その通りは、この通りの何番目ですよ」と返事しやすいのかなあとも思いました。京都は童歌からして、なかなか奥が深い土地柄でしょうか。