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聞いた言葉・第75回目、永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ。

 
永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ。

 この「永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ。(Learn as if you will live forever, live as if you will die tomorrow.)」は、マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)の言葉です。(ガンジーについての詳細は、フリー百科事典『ウィキペディア』の「マハトマ・ガンジー」のページから、ご覧下さい) ガンジーは、学校の教科書で習うインドの独立運動家としてあまりにも有名です。

 そのような方の言葉とは露知らず、私は50歳代まで生きてきました。そんな不勉強者のこの私が今回このようなページに書くこと自体お恥ずかしい限りです。でも、私なりに「あー、そのような意味もあるのか」と思い書くことにしました。この言葉は書いてある通りとは思いますが、ある種、人生観や世界観みたいな重みをも持っているような気がします。

 それでも、さらに自分勝手な解釈ながら分かりやすく書くと「人生学ぶことは山ほどあって一生勉強だ。でも人の一生は短いから毎日悔いが残らないように生活せよ」と、ガンジー先生はおっしゃったのかなあと思っています。

 人は概ね小学校から中学校、高校、大学と、けっこう長い期間学んで知識は一定度備わったとしても、それがその通り一般社会で生かされるかと言いますと、それは別次元のことと思うことさえ多々あります。

 つまり(学校での勉強は卒業したとしても)いわゆる”社会勉強”に入ると無限大のごとく奥が深く広いような気がします。さらに物事の真実や真理を見極める力、何かを決定する時などの正確に判断する力などは、長年の”経験”と言う勉強も必要な気がします。

 しかも、仕事でも地域でも家庭でも、あらゆる段階や種類で、身近な、自分オリジナルの”勉強”も嫌でも迫られる可能性もあるかと思います。

 例えば私の場合『福重郷土史同好会』に入って皆様と地元の歴史を語り合って『福重ホームページ』に週数回ペースで色々なことを書いています。何か書こうと思って調べ始めたら大村市立図書館に通ったり、自分で歴史の本を購入したりもしています。それでも、一つの疑問が解決して何らかの形でまとめたとしても、また、そこから発生する疑問が湧いたりと、まるで迷路に入ったようなものです。

 「趣味のことだから、適当なところまででいいじゃないか」と言う意見に対し、サボり症の私としては”大賛成”です。でも、ホームページで掲載中の事項で、色々な方からeメールで問い合わせがあったり、郷土史講演会で受講者の方から質問があった場合など、いつもかつも「その質問事項について、私は知りません、分かりません」ばかりの返答では、やはり困りものです。

 あと、この年齢になってきますと一日一週間一ヶ月のなんとなんと速いことか。このようなことは、十代や二十代には思いもしませんでした。「あーしたい、こうしてみたい」と思ってもみても知力や財力以前の問題として、体力や行動範囲など若い時に感じなかった壁や制限も多々実感しています。だからこそ、何か創意工夫をしないといけないのでしょう。

 地球の長い歴史に比べれば人の一生は瞬きにもならないと頭では分かっているようでも、実生活ではそのことを私自身は体現していないも同然です。好むと好まざるとに関わらずガンジー先生のおっしゃった今回掲載の言葉は、人が生きていく上で真理真実であっても、私の場合は出来ればそうしたいなあと思うだけに終わるのかもしれません。

(記:2007年5月1日)

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