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聞いた言葉・第77回目、素人集団による専門家知識

 
素人集団による専門家知識

 この言葉は、これに似た表現も含めて雑誌などにも掲載されていましたが、私はテレビ放送で聞いたのが印象に残っています。詳細な内容は忘れてしまいましたが、確か(ホームページの)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを紹介している時に使っていたと思われます。

 今までの印刷による百科事典は、通常多数の執筆者によって原稿が書かれ、それを編集者や編集会議などを経て印刷発行されると思います。あと、何年後かに改訂版などが出されてはいますが、一応印刷物は発行すれば、その時点での”完結型”だと言えます。

 しかし、このような印刷物に比べ、ホームページ形式が決定的に違うのは、常時次からつぎへと改訂、追加などができることです。しかも、極めて検索機能が容易な利点も挙げられます。

 そのような長所から誕生したのがホームページ形式によるフリー百科事典などのようなものと思います。辞典などを作成するに当り報酬を得ていない”素人”の集団が各々の専門家知識を総結集してできあがっていると言われている所以です。

 ただ、総ていいことばかりかと言いますと、物事なんでも長所もあれば短所もあります。執筆者が誰にでもなれ、しかも、ずっと改訂、追加ができると言うことは、逆にある事項について全く逆の見解を持つ人なら180度違う立場で文章の書き込みができるということでもあります。

 つまり、事項によっては昨日までは”肯定的な内容表現”になっていても、明日からは”否定的な内容”になっている場合も、実際にあったかなかったかは別としても可能性としてある訳です。じゃあ、印刷形式の百科事典などは何も間違い記述などないかと言えばそれはそうではなく、たとえその時には責任もって発行されたとしても、やはり人間がする以上どうしても大小起こりうる問題だと思っています。

 私の場合、郷土史関係のホームページを作成する時、例えば『大村の歴史』、『福重のあゆみ』、『大村辞典(大村の歴史観光辞典)』などの調査中、古文書や漢文体の文字に直面します。素人の私にとって、これらは大難問です。また、事項によっては大村市立図書館の蔵書だけでは調べきれない文章も多数あります。

 そのような時に、このホームページ形式によるフリー百科事典や各種サイトは良く利用させてもらい、事項によってはそのまま引用文として活用もしています。また、一旦ページに書いて掲載後で違うホームページを見て、「あー、この件はこんな見方もあるのかあ」」と思いながら訂正したこともいくつかあります。

 私は、以前この『聞いた言葉シリーズ』の第68回目「自分で真実を探す時代」に主に現在のマスコミ報道について書いたことがあります。この「自分で真実を探す時代」は、何も現在起こっていることばかりではなく、歴史事項や何か調べたい項目でも当てはまるのではないでしょうか。

 日本人なら誰でも知っているような例えば米とか桜でも、その種類、歴史などの記述はそれだけでも分厚い本が必要でしょう。そうなれば当然、事項によっては見解の相違など発生してくるのは必然だと言えます。結局、その時点でより正しいと思われる情報を求めているような気がします。

 あと、何か系統立てて物事を調べる時には印刷物の方が優れているような気がします。いずれにしても、何か百科事典などで調べる時、印刷物も
ホームページ形式も、お互いの利点、長所を生かせばいいのではないかなあと思っています。

(記:2007年5月19日)

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