まわりの家も白い洋風建築
雪道でも車で15分も走ると千歳市の熊さんの家に着いた。90年の5月に一度父母と一緒に泊めてもらった家だが、今回はまわりが雪ばかりで全く違う所に見える。「この前と違うのは凍結や寒さ防止のため、玄関を二重にしたよ」「すごい雪ですねえ」 一通りの挨拶も終わり、サッポロビールと美味しい魚、海老、貝等の刺身が奥さんの手で運ばれて来た。
久しぶりの熊さん家族との話しは夜勤明けの疲れが飛ぶように弾んだ。煮物、味噌汁が独身者にとってこの上もなく、うまい。息子さんの油絵もなかなかのもので芸術に縁のない私にとって目を見張る。 8ミリビデオで撮られた熊さん家族の夏休み旅行は道東巡りだった。外人の大道芸人達の面白い芸、キャンプ、蝋燭岩・摩周湖などの自然一杯の道東はガイドブックでは分からない実感あふれるもので、楽しく見入った。
深い眠りから目を覚すと、まだ、6時前だった。雪のためか、大阪より時差があるのか、外は明るい。今日行く予定のニセコスキー場のチラシや北海道の地図を見てると、やはり広いな〜と思った。しばらくして、朝食をとりながらも話題はつきない。長崎の父母に送るため、学校に行く前の忙しい時間をお願いして家族の写真を撮った。父母は多分に子供さんが「3年前より大きくなった」と思うだろう。
大阪のツアー仲間を迎える時間が近ずいた。昨夜あまり見えなかった近所の家並みはカナダか北欧に来たかと思うくらい白を基調とした作りであった。こんな家に住めたらいいな〜と思いつつ、「大阪ならこの土地の広さと、この建物なら1億円は下るまい」と考えるのは悲しいものだ。白い家の前で写真を撮り、奥さんにさよならを言った。
車はキラキラと朝の陽光に輝く雪道を千歳空港に向かった。分かれ際にお土産まで頂き、感謝の言葉を述べつつ今後の再会を誓った。熊さんとは大村の出身地も小・中学校も同じであっったが、年齢差もあり、冠婚葬祭くらいでしか会うことはなかった。大人になっても私は大阪、熊さんは北海道と距離もあり、3年前までは20数年間会うこともなかった。しかし、遠くに離れていても親戚はいいものだとつくづく感ずる1泊2日だった。