貴賓室が豪華な旧日本郵船小樽支店
道を聞きながらも今日一番の目的先である国指定重要文化財・『旧日本郵船・小樽支店』の2階建てが見えてきた。古い石作り、群青色の屋根、その上にある西洋風の鉄柵など、いずれもが近代ヨーロッパルネッサンス洋式で格式があった。
残念ながら屋根も入口近くも雪まみれだが数枚カメラを構えた。入口に入ると直ぐ1階はカウンター越しに営業室が見えた。3b近くはあろうかと思う高い天井、磨きぬかれた木製の調度品、柱、床と白壁小さな花模様のライト等がマッチしていていた。受付でもらったパンフレットを見ると「(前略)・・明治39年落成、11月にはポーツマス条約に基づく日露樺太国境画定会議が2階会議室で開かれ、会議終了後、隣の貴賓室で祝杯が交わされた・・・(後略)」と書いてあった。
木彫りの手すりやその柱を伝わって上にあがると一部U字型の天井が見えてきた。2階の会議室の白い天井と花模様、シャンデリア、シックなカーテン、36人一堂に国際会議ができる大きいテーブルと椅子、菊模様の壁、、床に敷いてある重厚な絨毯など。さらにその隣の貴賓室は小さいながら模様入りの天井と壁、深紅のカーテン、大きな鏡のついた大理石の暖炉など、中世ヨーロッパ王朝貴族のお城に来たような豪華さだった。
丁度地元の人が10人位の観光客にユーモアも含め説明していて分かりやすかった。これはシメシメと思いながら遠巻きについて行った。ついでに貴賓室前で写真を撮ってもらった。 会議室横の資料展示室には明治39年の日露国境画定会議の文書、資料、写真などが展示されていた。樺太国境を示す大きな石(レプリカ)も置いてあり、ああ、当時このような物を運ぶのは大変だったろうなと思った。
1階に降りて別棟もあったが中には入れなかった。帰りに1階営業室の奥に大きな日本郵船の模型が飾られていたので、見ると横幅2b位、黒と赤のツートンカラーの船体で精巧にできていた。これをバックに撮ってもらった。
そのさらに奥には銀行に置いてあるような大きな金庫の扉があった。もどって下駄箱をのぞくと雪が溶けていた。外はまだ雪だ、さあまた出るぞと気を引き締めて靴を履いた。