何回も来たい町、小樽
少し汗ばみながら小樽駅に着き、もうホームにいた15時02分発のエアポート154号に乗れた。1日3県をまわったこともあり、駆け足旅行は苦にならないが、今回も寿司屋問題や送ろうと思っていた宅配便の手続きもできなかった等色々あった。
観光旅行はうまくいった時より、不思議なもので色々問題や失敗した所が印象に残るものだ。それとは別にしても小樽はまた来たいと思った。町全体そうであるが、ここはどこでも道案内の標識があり、案内所や休憩しやすい所も完備されており、観光客に優しい心使いだ。
もっと時間があれば小樽市観光課が歴史的建造物に指定している44ケ所全部撮りたかった。一部を除けばその大部分が運河を中心にあり、歩いても充分行ける所がさらに嬉しい町であった。運河と言えば今は小樽観光の中心地であるが、一時埋立る動きもあったそうだ。住民の運動等により、埋立は免れたとのこと。大変いいことと思う。
私も含め多くの日本人は物を大量に作ること、消費すること、金もうけすること(こればかりは私は無縁であったが)等が豊かなことと考えてきたし、美徳と言われてきた。今でも埋立なければこの運河自体で大量の何かを生産するものではないと思う。
でも、なぜ人気があるのだろう。しかも多くの女性に。どちらかと言うと会社人間と言われる男より女性の目は幅広く確かで強いとも思う。(旅先だけではないかもしれないが、今回ニセコでも小樽でも多くの場合、女性が男性をリードする場面に出会った。また、老若関係なしに生きいきと輝いて見える時もあった。
あの原因は何なのか、(いずれ旅行記とは別にまとめたいと思う) この小樽運河は見ようによっては、明治時代そのまま時が止まったように、何も生産しないように、金儲けにならないように思える。逆に、このようなことが本当の豊さのような気がする。