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マルグッタ通り、ポポロ広場など
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マルグッタ通りの標識
1996年8月31日その
マルグッタ通り
 スペイン広場からバヴィーノ通り少し進むと右に折れ、さらに歩いて次に左に行くと、そこはマルグッタ通りでした。通りの最初の標識に「VIA MARUGUTTA」(マルグッタ通り)と書いてあり、まず、写真1枚、次に茶色が基調になったような渋い感じの通り全体を撮りました。

 今日は土曜日で残念ながら店が開いていませんでしたが、平日ならば絵画、彫刻等の画材屋さん、レストラン、食品店などが一杯あると言う通りとのことでした。この日は、通り先端まで見通せました。私達4人だけの声がこだましているのではと思うほど、静かな雰囲気のある場所でした。

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マルグッタ通り
 なぜ、脇道をして、ここまで来たかと言いますと私の希望だからでした。このマルグッタ通りは、映画『ローマの休日』で度々登場する所で、是非見たかったからでした。映画では、ジョー・ブラッドレー記者(俳優はグレゴリー・ペック)のアパートがあったのはマルグッタ通り51番地でした。

 また、アン王女(オードリー・ヘップバーン)が一晩ブラッドレー記者のアパートに泊まった後、トレヴィの泉に向かう時にここを歩きました。その王女を密かに記者が追いかけ、確かスイカか果物をここで買いながら賑やかな通りを歩いていたと思います。

 マルグッタ通り51番地などを探しながら歩いていると右側に泉がありました。頭がロボットような形をした面白い彫刻でした。ここでヨーコちゃん、タカちゃんが「おじさん、冷たいよ」と言いながら手を洗っていたので、私も口でゆすいだり、顔を洗い気持良くなりました。

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マルグッタ通りの泉
 さらに、進むと目指していました51番地の標識がありました。私は思わず大きな声になり、「ここが映画でジョー・ブラッドレー記者のアパートがあったとこよ」と話しかけていました。正確に言ったら、映画でタクシーの運転手にブラッドレー記者が「マルグッタ通り51番地に行ってくれ」と言っていたので、そのように覚えていたのですが、実際ここにあのアパートがあったのでしょうか。

 51番地と書かれた標識のところは、鉄柵の門があり、中に入れませんでした。少しだけ中を覗いてみましたが様子が分かりにくかったです。まあ、でもマルグッタ通りも51番地もあったことですし、これはこれで満足して、この通りを何回か振り返りながら、先に歩いて行きました。

 この通りは、先で行き止まりになっていて、そこから左に折れると、再びバヴィーノ通りに出ました。この通りを歩いていると、空の色がみるみる変わり、厚くて黒い雲が垂れ込めてきました。「一雨来そうだなあ」と言いながら歩いていると、ポポロ広場前に着きました。

 振り返ると双子教会と通称呼ばれている『サンタマリア・ディ・モンテ・サント教会』と『サンタマリア・ディ・ミラコーリ教会』がありました。この(通称)双子教会をはさんでバヴィーノ通り、コルソ通り、リベッタ通りの3本の通りが真直ぐ伸びていました。双子教会の反対側がポポロ門になりますが、とりあえず「店に行こう。それから、見に行こう」と声かけていました。

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ロザーティ店の名刺
カフェ・ロザーティ
休憩兼ねてカフェに入ろうと言うことで『カフェ・ロザーティ』店に行きました。この店は映画『ローマの休日』で、アン王女がシャンペンを飲み煙草を始めて吸うシーンが撮られた所と、何かのガイドブックで見たのですが、私の見た感じ、ここはどうも違うと思いました。なぜかと言いますとテラス席はありますが、その前の建物が映画と全然違うような気がしました。(たぶん、後日行く予定のパンテオン前の店と思いました)

 テラス席にするか、中に入るか迷いましたが、雨の心配もあり、店内に行きました。 1階奥の階段近くのテーブルに座りました。各自飲み物を頼み、私は1リッターのガス抜きミネラル・ウォーターとビールにしました。ミネラル・ウォーターはガス抜きのはずでしたが、少し炭酸水のような感じがしました。

 タカちゃんが先程のサッカーシャツを紙袋から出して見せてくれました。「おッ、カッコーいいやん」、「日本では買えないだろうね」と話は続きました。店内で落ち着いた頃にバケツをひっくりかえしたような雨が一気に降りだしました。数組テラス席に座っていたお客さんもたまらず、中に入り、ポポロ広場の観光客も雨宿り兼ね大急ぎに押しかけてきました。

 「やっぱり、中に入っていて良かったね」とお互いに言い合いました。この時、2階席から年配の女性が降りてきました。降り切った所で、たまたま、義兄と目があったのか義兄がちょっとおじぎすると、そこから不自然な行動とカウンター付近で店員さんに大きな声でわめいていました。

 どうもその声の中には「ジャポネ(日本)」なども聞き取れ、私たちのことも言っているようでしだ。「なんか、おかしいんじゃないのかな」と言いながら見ていると、執拗に声を出し、店員を困らせたあげく、店を出て行きました。

ポポロ広場とオベリスク
ポポロ広場とポポロ門
双子教会
 ローマまで来てアイスクリームを食べていないことを思い出し、『ジェラート、フォー」と頼みました。出されたジェラートは茶碗一杯位の大きさのデコレーショングラスに盛り付けられていました。白と茶色のクリームにパンスティックが刺してありました。

 なかなかのヴォリュームだが、味は「うまい」の一言でした。皆ジェラートに舌つづみ打った頃、年配で人のよさそうな店員さんが時計を示しながら、両手で眠る格好をして、「もう直ぐ休憩時間になるので、よろしく」と言っているようでした。

 「それじゃ、お金払おうか、ついでにここの店の名刺か何かもらってくれないか」とヨーコちゃんに頼むと、店員さんに伝えてくれました。支払のレシートをくれた後、また戻り『ROSATI(ロザティー)』と言う店の名前とポポロ広場がスケッチされたカードを持ってきてくれました。「グラッチェ、サンキュー」と言いながら店を後にしました。

ポポロ広場と双子協会
 ポポロ広場で空を見上げると雨雲は遠ざかり、青空が出ていました。広場には高さ36.5mのオベリスクがそびえていました。このオベリスクはエジプトからアウグトツス帝が持ち帰り、チルコマッシモ(巨大競技場)に建っていたのをさらにこの広場に立て直したもののようでした。

 ローマで一番高いオベリスクはどこからでも昔は見え、特に、ローマを目指して来る巡礼者には目印になっていたようでした。広場とポポロ門の間には、この広場の由来になった『サンタマリア・デル・ポポロ教会』がありました。サンピエトロ寺院やサンタマリアマジョーレ教会など大きい聖堂を見慣れた目には小さく思えました。

 ポポロ門は、その昔聖都ローマを馬車や歩いて訪ねてくる巡礼者や観光客にとって、「ローマにやっと着いた」と感動させる門だったようです。ここからポポロ広場、オベリスク、双子教会、3本の真直ぐな通りを目にすることができ、昔でなくてもウ〜ンと唸らせる構図でした。

 タカちゃん、ヨーコちゃんが、「双子教会の前で双子の写真ね」と言ってカメラに納まりました。この双子教会は、全く同じ形ではなく敷地面積の違いをカバーし、目の錯覚で同じ様にみせるため、天井屋根を正円(サンタマリア・ディ・ミラコーリ教会)と楕円(サンタマリア・ディ・モンテ・サント教会)にしているとのことでした。設計は、ベルルーニも入っていると言われています。


(旅行メモ)
14:35 スペイン広場からバヴィーノ通りを少し歩いた。
14:40 
マルグッタ通りに入った。
14:50  ポポロ広場前に着いたが空模様がかなり暗く、一雨来そうであった。
14:55 『カフェ・ロザーティ』店で、ゆっくりジェラート食べながら休憩した。外は土砂降りの雨が降った。
15:45 ポポロ広場で空を見上げると雨雲は遠ざかり、青空が出ていた。
15:50 歩ポロ門や(通称)双子教会などの写真を撮った。
(掲載日:2006年5月25日)

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