(2004年6月18日)ヴォーバン堰(いせき)やクヴェール橋を見終わった後、別の運河に入ると、また、水門が見えてきました。今度は、今来た運河から前の運河に降りることになり、しばし待っていると再出発でした。 ここから、しばらくはそう目立つ風景や特徴ある建物はないのですが、左側にトリコロールのフランス国旗が立っていたので、何か公共の施設かなあと思っていましたら、裁判所でした。
ここは音楽を目指す人にとっては、最高峰かつ最難関の学校と聞きました。でも、このストラスブール校も大変難しいとの説明でした。(後で歩いた時に見たのですが)ここよりもさらに広場側の方には、ストラスブール国立劇場もありました。 再びイル川と合流するところでは、幅も広くなって視界も開け川岸も賑やかな雰囲気になってきました。ここから左にカーブして直進していくと、サン・ポール教会の二つの高い塔が見えてきました。
その中の一つに、彫像が橋の左右に見えるのもあり、「あれ、見て、彫刻だ」みたいな会話をしました。しばらく進むと左側には、大きいパラボラアンテナが空に突き出た放送局のビルも見えました。 その後は、ヨーロッパ連合(EU)議会のガラスの近代的なビルが見えてきて、ひときわカメラを構える手が多くなりました。「あー、ここが良くテレビに写るビルかあ。やっぱり、大きいなあ」などの会話が続きました。
EUと言えば、私は大いに期待したいものがあります。その名の通り連合とか共同と一口で言っても、ヨーロッパ内に横たわる実際面や現実面で解決すべき多くの問題や困難さは当然沢山あろうかとは思います。 それでも、国家、民族や宗教その他の違いを乗り越えて、争いよりも出来るところから少しづつでも連携・共同していこうとするその行動にはひかれるものがあります。(このことの詳細は、私の書いた「聞いた言葉シリーズ」、第9回目『地球には、国境がありません』をご参照ください)
観光船は、わざと建物が見えやすいような位置に持ってきているのか、はたまた単純に復路をとるためか、ここでターンして元来た方向に進んでいきました。 帰りのコースは、今まで見たものばかりですから、船上では往路ほど話し声は聞こえませんでした。しかし、それにしても、私たちの前におられるドイツ人とアメリカ人らしき年配のカメラとビデオの撮り方の熱心さには、ある種感心しました。ほぼ、どの地点でもずっと構えたままなのです。 そこで、どの国の”カメラ小僧”が勝ったのか、しばし話題になりました。当然日本代表は、どんな被写体にも挑戦し、ニコンのシャッター音鋭いマダムかおるです。私の勝手な判断ですが、三か国代表(?)のどちらとも優劣つけが難く、いい勝負だったと思います。 そうこうする内に観光船は旧市街地に戻り、左手川沿いの道路には近くの小学生の遠足なのか大勢で、私たちに向かって、歓声と手を振ってくれました。船着場付近にあるパレ・ロアン(ロアン宮殿)を右手に見ながら船は、12時30分に到着し、約70分間のイル川クルージングは終わりました。(掲載日:2004年7月16日) 参考(ホームページ)資料 ・駐日欧州委員会代表部 |