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岩盤の上に石組みの壁
アルザス・ワイン街道巡りオー・クニグスブール城

 (2004年6月19日) 観光バスは、リボーヴィルを出ていくつか小さな村をぬけると、つづらおりの山道に入っていきました。しばらくすると、右手の方にホテルが見えてきて、「こんな山の中腹じゃ、食べて寝るだけかなあ」などの話しも出ていました。

 高度上げる途中、たまに開けたコーナーでは、車窓に広がる葡萄畑がさらに良く見え、室温も段々と下がっている感じでした。一方通行の看板が見える右手が上り口、左手が下り専用道路の所に出ました。

 ここから少し登ると、道路左側に駐車している自家用車が目立ってきました。ここに車を止め、車道から伸びる登山道を歩いている家族連れも、数組見えました。

 さらに進むと、右側に50人くらいは座れそうなテラスのある売店が見えてきました。バスは、この売店の50m先で止まり、運転手さんから「今度の出発は、17時00分だよ」との案内がありました。

 売店の反対側の進入路を進むと、無舗装の自然路そのままの歩きやすい道がありました。左手の林の間からは、点在している集落をのぞけば緑一面の葡萄畑が目に入りました。右手には、オー・クニグスブール城の城壁が聳え立ち、迫ってくる感じになってきました。

下庭にあるレストラン
 受付で切符を購入し、A4サイズ三つ折の日本語版パンフレットをもらいました。これには、この城の歴史、案内、建築、修復事業などが詳細に書かれていて、読み応え充分でした。

 ここで、やや長くなりますが、このパンフレットのお城についての「歴史部分」を下記に引用いたします。(注:《 》内が引用部分で、ただし全文ではありません)

 《(前文略) この山の標高は755mで、平地に対して直角をなしながら東西を貫いており、この城の記述がすでに12世紀に初めて登場します。

 この岩の突出部は交易の盛んな街道の交差点に位置しています。南北に貫く小麦とワイン街道、東西に貫くのが塩と銀の街道でした。

   ハプスブルグ家の所有に帰さた城は1479年にティエルシュタイン家に領地として与えられました。同家は城を建て直し、大砲に対する防御のために改造しました。30年戦争では、フィリップ・ド・リエテナウ大将軍がここでスウェーデン人の攻撃に一月以上も戦ったという経緯がありますが、最後には城は略奪にあい、焼け落ちたのです。

風車のある建物
 その後、2世紀の間、城は放置状態におかれました。1865年、城は、隣接する森とともにセレスタの街の所有になり、街はこの比較的よく保存された城址を、1871年ホーヘンゾレルンのドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に寄贈しました。

 (アルザス地方は1871年からドイツの統治領に編入されていました)ヴィルヘルム2世はこのオー・ケーニグスブール城の修復を建築家ボド・エバルトにゆだねます。

 (1900−1908)修復の仕上げ事業とコレクションの買収は1918年まで続きます。ベルサイユ条約(1919年)によってフランスがドイツ皇帝の財産の新しい所有者となり、この城を国の管理下におきました。》(注:引用終了)

  城門の前後でカメラを構えたのですが、まずは、岩盤の上に直接垂直に立っている石組みの壁(目算ながら3階か4階建て相当)の高さに驚かされました。

 トラックやクレーンなどのある現在ならばいざしらず、西暦1149年頃は、人力かせいぜい馬でしたから、この山に重い石を上げるだけでも大変だったろうと想像するばかりでした。

   また、この大きな壁一面のバラ色砂岩の色は、色自体はストラスブールのカテドラルその他でも同じ物を見ましたが、ここはまた違った風合いさえも感じました。 さらに進むと、中庭(後で見たのですが上の方にも中庭があったので正確には“下庭”といいます)があり、まずは、右側の建物がレストラン(注:このページ、左側一番上の写真)がありました。

祝典の間
 左前方には、風車のある建物(注:このページ、右側の上から2番目の写真)が見えてきました。この風車は、単なる復元なのか、はたまた今も何かに使用されているのか分かりませんでしたが、私が見ている間、羽の部分は回転していませんでした。

 風車のある建物の反対側が、お城への出入り口で、ここから、階段の登りでした。私は、ストラスブールのカテドラル(大聖堂)屋上登りで、息が切れて皆さんに相当迷惑かけたので、今回はそれなりに必死でついていきました。

 でも、その分ゆっくり城内を見る余裕がなく、ところどころしか覚えていない状況でした。階段途中の壁に、正方形や長方形の穴があり、これは鉄砲を打つための穴『鉄砲狭間』(てっぽうさま)」や弓を射る穴『矢狭間』(やさま)と思えました。これらを見ると、「このお城は、やっぱり実戦型だったんだなあ」と実感しました。

 見学順路に沿って行くと、跳ね橋、(深さが62mあるという)井戸、貯蔵倉などがありました。さらに進むと螺旋階段があり、そこを登るとメインダイニングルームみたいな『祝典の間』とも呼ばれている部屋があり、テーブルやシャンデリアがありました。(注:このページ、左側上から2番目の写真)


 さらに進むと今度は階段を降り、礼拝堂などの部屋がありました。(この間、何枚も写真撮ったのですが、液晶画面で見ても、ステンドグラスや甲冑をまとった軍人などがうまく撮れなくて、ややイライラ感がつのっていました)その後、橋を渡ると木立のある庭に出て、そこから進むと階段を登ることになりました。

右手奥は葡萄畑
 しばらく、進むと先の方に大砲がおいてありました。この手前当たりで、しばしお城の周囲を眺めることにしました。姪が「おじさん、ここからの景色もいい」と言うので、その窓に近づくと、手前にお城、後方下側には葡萄畑と集落が一望できるなかなかいいポイントでした。(注:このページ、右側上から3番目の写真)

 「あー、天気良ければ、もっといい写真が撮れるのになあ」と思いながらも、しばし、景色を眺めた後、今度は下ることになりました。三角屋根のある塀の続く脇道を歩いて行くと、さっき来た出入り口と風車などがある下庭にに出てきました。

 けっこう急ぎ足でまわったので、あと集合時間までに1時間くらいあり、ここでトイレタイムとなり、私はこの下庭の風車の前で座って待っていました。すると、前にいた可愛い子供さんが、お母さんにじゃれたり、走り回ったり、私達の方にも近づいて来たりと、しばし時間を忘れて見ていました。

 「あのレストラン(注:このページ、左側一番上の写真)で、コーヒーでも飲みませんか?」と言うと、皆さん「あそこは、煙がもわっとした感じでしたよ」との返事がありました。「それじゃあ、外に出て売店の方で飲みましょう」ということになり、お城から出ることにしました。

 売店前のテラス席は、ポツリポツリの雨があったみたいですが、何とか天気は持ちそうで、山の気温の関係で少し冷えた体に温かいコーヒーは丁度良かったです。時間つぶしもあり、マダムかおるは、ツーリングしてきたバイク野郎を激写したり、私は売店でアルザス地方の地図を買ったりと、皆さんそれぞれでした。

 観光バスは、17時00分オー・クニクスブール城出発し、途中運転手さんからの各村の案内を受けながら、一旦17時50分お土産店に到着しました。ここで、少しだけ物色したり、アルザスのお菓子を試食をしながら、20分ほどいました。その後、朝来た道路を目指して戻りながら、18時30分ストラスブール中央駅前広場に到着しました。

 最後、運転手さんに「メルシー」、「ありがとう」と言って、約9時間半のアルザス・ワイン街道巡りのツアーは全て終了しました。ホテルに戻れば、今度は結婚パーティーへのタクシー移動でした。(掲載日:2004年8月3日)

参考(ホームページ)資料
オー・クニグスブール城

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