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リクヴィルの葡萄畑
アルザス・ワイン街道巡り、リクヴィール

 (2004年6月19日) ツェレンベルク村のワイナリーを後にした観光バスは、右も左も見渡す限りの葡萄畑を見ながら、お昼を食べるリクヴィール(Riquewihr)村に12時20分到着しました。

 運転手さんからお薦めのレストラン案内と次の出発時間14時30分のアナウンスがありました。降りた駐車場には、先着のバスや自家用車がけっこう止まっており、最初からこの村の人気度が分かりました。

 上を見ると朝からの曇り空が、いよいよ一雨来るような感じに思えました。看板を見ながら左手の方向にしばらく進むと、この村で一番人通りの多いド・ゴール将軍通り(Rue de General De Gaulle)に出ました。

 石畳の通りを登るとやがて、運転手さんお薦めのレストランはありましたが、私たちは、そこには行かず、こじんまりした店に行こうかと言うことで数軒当たりましたが、どの店も混んでいるようでした。

昼食を食べた「WINSTUB Le Bistrot」店
 壁に「WINSTUB Le Bistrot」と書かれた白いテラス席のある店に行くことになりました。ここで雨がパラパラと降ってきたので、急ぎ中に入ると入口左手テーブルが前のお客さんが出られたあとみたいで4人座れそうでした。

 後片付けとメニューが来る間、店内を見渡したのですが、ここは私たちの座っているフロアーより、数段の階段を登るとそこにもテーブル席があり、さらに左奥が厨房のようでした。

 この「WINSTUB」(ヴィンシュテュブ)と言うのは、先に行ったリヴィボーヴィレやこの村でも何軒か見ましたが、カフェでもレストランでもなく、どちらかと言うとビストロ風もしくは日本流に言うなら「居酒屋風の食事処」でした。けっこうガヤガヤと賑やかで、気楽な感じの店でした。

 そうこうしている内にメニューが来て、私に姪がアルザス料理のベックオフ(Baeckeoffe)を選んでくれました。あと、ワインをどうするか、フルボトルを昼から1本空けるのはキツイなあと思い、ハーフボトルがないか聞いてもらいました。どうもハーフはない感じで、じゃあデカンタでそのくらいないか尋ねてもらうと、「それなら、いいわよ」みたいな返事をマダムはしてくれました。皆さんは、キッシュとかオニオンなどを注文されたようでした。

ミニトレインとド・ゴール将軍通り
 さて、ベックオフが来ました。マダムから「熱いから、注意してね」との言葉通り、深底の器はオーブン終わったばかりみたいでした。煮込み料理らしく、肉や野菜がいっぱいで、肉とワインの香りもプーンとして食欲をそそり、さっそくフォークとナイフで皿に取ってみました。

 和食の肉ジャガよりは濃い味付けでしたが、その分まろやかになるように野菜やワインがたっぷり入っていて文句なく「これ、うまーい」と言葉が出ました。

 私は、「このアルザス料理、肉ジャガ風でいいですよ。今まで食べた中で一番合います。皆さんも、どうぞどうぞ」と薦めていました。また、ゲヴルツトラミネールのワインともいい感じでした。。

 これは、私個人の勝手な考えですが、やはり各地のお酒と郷土料理とは切り離せない関係があるように思えます。(まだまだ私自身経験不足ですが)例えば、沖縄の泡盛とラフテ(豚の角煮)、英国のウィスキーとローストビーフ、イタリアワインとパスタ類などです。

リクヴィル村の絵(鳥瞰図)
 「料理が先」、「いやお酒の方が先だ」とかの関係でなく、互いに何百年か何千年かの年月かけて切磋琢磨して出来上がってきたようなそんな間柄みたいに思えます。

 最後エスプレッソコーヒーの話題も終わり店を出ると、なんとか雨は本降りになることはなく、傘なしで歩けました。「ちょっと一人で歩いてみるね」と言って私は皆さんとは別方向に、通りを下ってみました。

 このド・ゴール将軍通りの左右には、漫画に出てくるような看板の可愛らしい店や入ってゆっくり通りを眺めたいと思わせるテラス席もあちこちにありました。

 レトロ風なミニトレイン、泉や村役場などをカメラに収め、その後歩いていると建物の壁に古い絵が入っているガラスケー スに目がいきました。(注:このページ左側の上から2番目の写真)

 この絵はリクヴィル村の鳥瞰図(ちょうかんず)で、上部には「Riquewihr」と大書してありました。村全体を囲っている城壁、ドルダーの塔(Tour du Dolder)、現在村役場になっている城門など、良く分かりました。絵自体いつ描かれたものか分かりませんが、(後で調べたところ)このリクヴィル村には西暦1100年から1200年代の建物も現存していて、村全体も1300年代以前から、現在見ているような形になっていたようです。

丘全体が葡萄畑
 日本なら鎌倉時代の村が、ほぼ原型のまま今も見られるとは、いかに戦災から逃れたとはいえ驚きそのものでした。また、ここは電力線、電話線それを支える電柱など、私の見た範囲内ではありませんでした。

 多分このような電線は、地下埋設と思いますが空中線がない分、なにかしらこの村全体の空が広く大きく感じました。また、多くの家の前には花々が咲いて、木組みの家ともマッチして、もう綺麗、美しいとの形容しかありませんでした。

 この村のホームページには、村民(2004年8月視認上)1228人と掲載されています。村各所にある駐車場の大きさなどから予想して、たぶん平日でも村民と同じかそれ以上、週末や夏のワイン祭りなどは、その何倍の観光客数だろうなあと思いました。

 ただ、13世紀から現存している村があるからだけで、観光客がたくさん来ておられると言うものではないと考えられます。村民の方々の努力含めてもう少し知りたいし、また、機会あれば今度はゆっくり歩きまわりたいなあと思わせる村でした。

 駐車場に戻る右手に博物館、左手に郵便局も見え、道路に出て後方を振り返ると木組みの家を前景に丘全体に葡萄畑が広がっていました。また、この方向とはぐるり反対側にも、日本ならちょっとした町がスッポリ入ってしまう、あるいはまるで緑の海のような光景がそこにありました。

私のホームページ、アルザス料理関係ページ
タルト・フランぺと白ビール
アルザス料理とお菓子
 天気には勝てませんが、「ああ青空の下で、この風景を撮りたかったなあ」と思いながら再びバスに乗りました。運転手さんは次に行く予定のオー・クニクスブール城(Haut-Koenigsbourg)を告げて、リボーヴィルを14時30分出発しました。(掲載日:2004年8月1日)

参考(ホームページ)資料
Ribeauville、Riquewihr(リボーヴィレ、リクヴィール観光案内)

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