TOP  INDEX BACK  NEXT

各空港など

 今回の旅行で私は、福岡空港→成田空港→シャルル・ド・ゴール空港→ストラスブール空港と行き、復路はそのまま逆に戻ってきました。私は、以前25年間大阪空港勤務していた関係上、空港のことはそれなりに表も裏も分かっているつもりでした。(1年間に帰省も入れれば10回程度、飛行機を利用した旅行もしていました)

 しかし、田舎に移り住み、時の経過とともにその実感は薄れ、とりわけ最新の航空情報には疎くなりました。まあ、逆に言えば今回の旅行は久しぶりだったと言うこともあり、それだけ新鮮な形で、各空港を見たのかもしれません。

福岡空港にて

福岡空港で駐機中のB737機
 長崎からのバス到着の関係から、福岡空港の国際線ターミナルビルに入ったのは初めてでした。私の想像よりは、大きく見え新しい感じでした。そこから、国内線まで無料シャトルバスを利用したのですが、けっこう便数も多く便利でした。

 国内線ターミナルでは、成田への出発前にほんのちょっとしたことがありました。それは、アメリカ人の家族連れグループが、10数人いらっしゃいました。

 その中で白人の5歳くらいの娘さんが、人形を投げて遊んでいたところ、ガラス壁隔てた搭乗用の通路側に落ちてしまいました。しばらくして、改札口付近にいた私に戻って来て話しかけ手を引くようにして連れて行き、「あの人形を取って欲しい」と言うことでした。

 どうも、私は空港スタッフと間違われたみたいでした。私の方から話せない英語ながら「私は、スタッフではないから、中に入れない。スタッフが来たら頼んでみるからね」と話し、可愛い娘さんも、「あっ、そう」と言う感じでした。その直後、女性スタッフが来られたので、大きく手招きして人形を拾ってもらいました。

 すると、娘さんのにこっとした顔とともにお母さんが丁寧にお礼を述べられました。むしろ、こちらの方がささやかながら、お役にたって嬉しいくらいでした。この家族連れの皆さんとは、成田空港まで一緒の便で座席も近くでした。この便名のANA2144は、機体(ボーイング737-500)も乗務員も全てエアーニッポン(ANK)の方でした。

 帰りは、ANA2141便でしたがあいにく台風6号の接近中に合い、けっこう揺れましたが何事もなく福岡空港に到着しました。乗務員の方々、台風の中でのフライトお疲れ様でした。

成田空港にて
 成田空港の第二ターミナルビルは、全く初めてで、出発までの時間つぶしもあり2時間近くウロウロと見学しました。まず、チェックイン・カウンターは、長くて広くて歩き疲れました。

タキシング中のエールフランス機
 それにしても、日本人はじめ一見して想像するにアメリカ人、韓国人、中国人その他、なんと沢山の種類の言葉が飛び交っているのか、さすが日本を代表する国際空港だなあと改めて実感しました。

 また、建物内の各種店舗がちょっとした町の店よりも多く、さらには、テレビから文房具まで、ほぼ何でも揃ってのではないかと思うほどでした。

 次に行った第一ターミナルビルは、私が1986年2月始めて海外旅行で出発したところでした。現在、再オープンに向けて工事中と言うことから、閉鎖区域が多く、昔の雰囲気を知っている者として、何か寂しい感じでした。

ここでは、お土産用に電卓や浮世絵Tシャツなどを購入しましたが、そこの店員さんも「お客さんが以前より少なく、店によっては閉鎖もしています」とのことでした。

 まだまだ、夏の太陽は高いし、時間稼ぎで写真でも撮ってみようと思い、屋上に上がりました。夕方のラッシュアワーのためか、次からつぎへと数分間隔で色んなカラーリングをした航空機が離発着していました。

 飛行機は、図体が大きいので撮りやすいと思ったのですが、滑走路上の離発着スピードは私の予想以上に速く、カメラの液晶画面に、頭(機種)が入っていれば、お尻(尾部=垂直尾翼など)抜けていたり、あるいはその逆だったりと、5枚位撮ってやっと全体の納まりが良くなりました。それと同時に段々薄暗くなり、もっと早くこの屋上に来ていればよかったなあと思いました。

出発準備中のエールフランス機

 まだ、時間あったので、夕食を食べることにしました。4日間ほど離れるだけなのに「当分和食も食べられないなあ」と、とってつけたような理由を考えている自分におかしさを感じながら、天ぷらうどんとご飯の定食にしたところ、まあまあの味でした。

 エールフランスの搭乗した機体は、ボーイング777で機内アナウンスの通り新品そのものでした。たぶん、まだ数十フライトもしていないような気がしました。おかげで、シートの座り心地も抜群でした。ただ、この日ビデオシステムが調子悪く、21時55分ギリギリまで直しておられたが、そのままようでした。

 結局、アビオニクス(航空電子)装置関係のメカニックも同乗しておられたのか、その後も何回かオン・オフしながら直されていましたが、このフライト中はノーマル作動しなかったようでした。まあ、どの機種も初期トラブルは、つきものかなあと思っていました。

 帰りの便では、機種は同じでしたが(機体番号が同じかどうか確認していませんが)、ビデオシステムもノーマル作動で、各座席ごとにある液晶画面で自分の見たい番組その他を各々選択できるのは便利だなあと改めて思いました。また、私は、飛行中の現在地、スピード、高度などの表示は、飽きずに見ていました。

シャルル・ド・ゴール空港にて
 最近のシャルル・ド・ゴール空港と言えば、今年(2004年)5月23日朝、日本のマスコミでも大きく報道された第2ターミナルビルEで、昨年できたばかりの屋根が崩落して死傷者まで出たということでした。その現場は、帰る時のシャトルバスから良く見えましたが、復旧はマダマダのようでした。

 なぜ、フランス最大の空港でしかも近代的なターミナルビルの屋根が落ちたのか、詳細な原因を私は知りませんが、どちらにしても信じられない光景でした。私たちは、この隣のターミナルF、51番スポットから帰国時出発しました。

シャルル・ド・ゴール空港、F52番ゲート
 ここは全面ガラス張りみたいな建物で、屋根部分からも光さし、まるで大きな宇宙船か何かに思えました。これを見て、もしも建築関係の方なら、これだけでも、けっこう興味持たれるだろうなあと想像しました。

 ストラスブール行きは、今回ターミナル2Bから出発しました。その前に、手荷物検査を受けますが、この時、姪がお土産用に持っていたお菓子の缶に検知器が反応しました。

 男性のスタッフが「この缶は、何だ?」と聞くので、姪が「ボンボン・ジャポネ(日本のお菓子)」と応えると、「それは、通せないなあ」と、冗談言っていました。

 まあ、早朝でお客さんも少ないということもあるのでしょうが、常に緊張感漂うような日本の検査場に比べ、ややノンビリ感があったのは国民性の違いもあるのでしょうか。

 あと、このターミナル2Bは、今でこそ少し古くなってきていますが、私にとって思い出に残る建物でした。それは、1986年2月(最初の海外旅行で)空港調査の目的で訪れた最初のターミナルビル見学だったからでした。

 当時、現地のエールアンテール(エアーインター=国内線の航空会社)の方から、各所の案内を受けました。特に、「機体駐機場(スポット)から、空港出口(リムジンバス発着場)まで直線で70メートル」と言うのが、ここのターミナルビルの“売り“で、今なおこの言葉は良く覚えています。

 あと、エールフランス客室乗務員の制服を変更する直前だったのか、当時あったコンコルドラウンジ前で、いくつかの種類をモデルさんが着ておられました。これはなかなかいい場面だと思い、ビデオをまわしていたところ、「この制服は、マダ発表前だから撮影しないでくれ」と注意されました。知らぬこととはいえ、このようなことは忘れられない記憶となりました。その後の旅行も含めれば、このシャルル・ド・ゴール空港ターミナル2Bは、10回近く利用したことになりました。

ストラスブール空港にて
 ストラスブール空港は、私にとって今回初めてでしたが、残念ながら到着、出発いずれも時間がなく、写真1枚も撮れませんでした。まず、到着前のアプローチする時に、窓からストラスブールのカテドラル(大聖堂)が初めて見えた時は、「あっ、ついに来たなあ」と思いました。

 この空港も国際線も離発着しているようでしたが、ターミナルビルの大きさは、日本にある地方のターミナルビルとあまり変わりなかったみたいです。現在の地上交通アクセスは、シャトルバス乗換えでトラム接続ですが、トラム路線の空港までの延伸計画もあるようです。今後トラムが空港まで直接乗り入れれば、本当にますます便利なストラスブール空港になるだろうなあと思いました。(掲載日:2004年8月10日)


TOP  INDEX BACK  NEXT