若き乙女の山
08時53分ユングフラウ・ヨッホ駅(3454m)に到着、ユングフラウとは「若い乙女」ヨッホとは「山の鞍部」とのこと。昔、山の中腹に「女子修道院」があったので、そこから名前の由来があると言う。
ちなみに隣にそびえる山のメンヒの意味は「僧侶」。ユングフラウ山は名前からして山男の憧れだったと言う。確かに白くて大きく奇麗だ。
駅から降り、しばらく階段を登ると高所のためか空気が薄く少し頭がじーんとし、息が苦しかった。壁の看板を良く見ると日本語で「空気が薄いから、走らないで下さい」等と忠告してあった。
プラトー(雪の原展望所)、雪原やメンヒ山(4099m)をバックに写真数枚撮った。この時ユングフラウ山(4158m)は雲の中で見えなかった。外は氷点下10度近くあるのだろうか、セーターとジャンパー位ではとにかく寒い。
一旦中に入り、今度は氷河をくり抜いたアイスパレス(氷河の彫刻、洞窟等)に行った。青白い氷河のトンネルと熊や日本の関取姿等沢山の彫刻は神秘的だった。私は知らなかったがこの時山口夫人が滑って打撲されたとのこと。大事なければ良いが。
(スイスのお医者さんでは分からなかったが、帰国されて検査されたところ骨折されていたとのことだった)レストラン『トップ・オブ・ヨーロッパ』で白ワインとサラダを頼み18.5フランだった。久しぶりの山盛り野菜が特に美味しかった。
食後、ハガキを書いた。ユングフラウヨッホ郵便局は世界最高所で、日本の富士山頂郵便局と提携していた。窓口前には昔懐かしき日本の赤い丸型ポスト(日本へ送る専用のポスト)が置いてあった。ここで2枚の葉書を投函した。早く着くのだろうか? 同じフロアーにあるお土産店で刺繍入りのハンカチ(「ユングフラウ、3454m」の文字入り)を買った。
再度、外に出て雪原に行った。今度はメンヒ山(4099m)だけでなく憧れの若き乙女の山、ユングフラウ(4158m)も雲がかかっていなかった。「ワッ〜見えた」と歓声を上げながらシャッターを切った。近くに日本の大学生がいたのでユングフラウ山をバックに撮ってもらった。
12時過ぎにユングフラウヨッホを出発し、今回は途中の中間駅に停ることなく約40分間で乗り換えのためクライネ・シャイデック駅到着に着いた。降りると晴れていてアイガー山頂にも雲がなく、大急ぎでカメラを構えた。もっと時間があればな〜と思いながら、今度はヴァンゲルアルプ(WAB)鉄道に乗り換え定刻の13時02分クライネ・シャイデック駅を後にした。
左手には『レストラン・アイガーバーント』や『メンリッヒェン展望台』が見えた。「あのレストランで食べても良かったな〜」等との声も聞こえた。朝来た時より霧がグリンデルワルトの村に下流方向からたなびいてきていたので、「あの霧がかかる前に牧場のもっといい写真撮りたいな〜」と思いながら少しイライラしていた。
電車はこっちの気も知らずにアプト式の軌道をゆっくり降りていた。それでも後方からの電車と牧場の牛達を数枚連写した。予定通り13時37分グリンデルワルト駅に到着した。(1994年1月1日記す)