パリ離婚?
18時30分機内案内が始まった。パッセンンジャー・ボーディング・ブリッジを渡る寸前一人の若い日本女性が男と分かれ、ゲートへリターンして来ていた。しかも手荷物のタグを示し、「この手荷物を降ろしてくれ」と言っていた。ただでさえ遅れているのにさらに最低30分以上時間がかかることを職業柄直感した。しかもストライキ中の少ない人員で慣れない仕事を地上職員がしていることが想像できた。 ハイリフト(コンテナー投降載用)車を使い最初からやり直しの大変な作業である。機内では成田離婚のような「あれはパリ離婚」「空港ならシャルル・ド・ゴール離婚では」等の説が飛かった。どんな理由があるにせよ、機内案内まで同意していて(その意味では確信犯でもある)引き返すとは。一人のために 300人以上に迷惑かかることを平気で承知でやるこの女の行為は絶対許せなかった。 21Cのシートに座り待っていた。 全員旅客は搭乗しても、まだ、左最前方の出入り口には整備やランプコディネーターらしい人が行ったり来たりで多分に運航乗務員や客室乗務員に状況説明していたのだろう。案の定ランプアウト予定時間を40分以上過ぎた。やっと全部のドアがクローズされ、しばらくしてから飛行機用のタグ車がプッシュバックし始め、ほっとした。 この機体も行きと同じでボーイング747ー400型機だった。 19時40分、エールフランス航空AF276便はテイクオフした。機内ではパリの印象や食事の話題が出ていた。しばらくすると皆さんは旅行疲れからか熟睡の人もいた。 安藤弁護士だけはいつでもどこでも元気そのものと言うのが全行程通じて印象に残った。私は7年前の時差調整の失敗から今回の日本行はただひたすら睡眠をとろうと思った。でも眼が冴えて、仕方なしにテレビ映画を見ていた。(1994年1月1日記す) |