シュトゥットガルト、 ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅と買い物など
2015年12月18日(ドイツ時間)
前ページ「 シュトゥットガルト市立美術館とシュロス広場駅など」には、キルヒ通り沿いにあった市立美術館の外観や、その近くにあるシュロスプラッツ駅(シュロス広場駅)などについて書いています。今回のページは、そのシュロスプラッツ駅から乗車して、その後、次の降車駅となったヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅や、帰り道脇の店で夕食用の買い物をしたことなどを主に書いています。
ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅
私たち3人は、車窓に広がる市街地の風景を見ながら、色々と話していましたら、電車は半地下状になっているヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅に到着しました。まず、この駅名についてです。ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅(Wilhelm-Geiger-Platz)を日独語で検索していきますと、「ハンス・ヴィルヘルム・ガイガー Hans Wilhelm Geiger, 1882-1945 ドイツの物理学者」にたどり着きます。そして、この学者名は、一般には放射能測定器=ガイガー・カウンターで有名でしょう。
ただし、駅名と、上記の学者名と関係あるのか、はたまた全く無関係か、私には分かりませんでした。ただ、この学者さんは、ドイツの各大学で教えていたのは確かのようです。
私たちは、降車ホーム側から階段を登る手前の壁に影絵みたいな黒い絵を見ました。(右上側1番目写真参照)この写真では小さ過ぎて全体分かにくいと思われますが、絵に登場している6人の人物は何かの連作もののイメージがしました。
本来ドイツ語が分かれば各々の黒絵部分に、白色の説明書きが一枚づつ表示してあるので直ぐに分かると思われます。しかし、逆に全く文字が分からないと、不思議に色々と想像たくましくなるもので、私なりに考えてみました。間違っていましたら、すみません。
まず左側3人ですが、たぶんに農家の両親と子どもと思われます。お父さんと子どもがブドウ畑で沢山とってきたブドウの実などを籠(かご)いっぱい背中にしょって、「お母さん、ただいま」みたい感じのようです。そして、水汲みか夕食準備していたお母さんが、「おかえり」と言って出迎えているのではないでしょうか。
そして、右側3人は、日傘を手にした奥さんと山高帽かぶったご主人の夫婦で散歩中に、庭いじりしていた右端の老人(ハンス・ガイガー)に語りかけているような感じに見えます。あと、この黒い切り絵調と言いますか、影絵みたいな雰囲気は、何かの本か、どこかでみたような気もするのですが、絵心の全くない私は思い出しきれませんでした。
冒頭にも書いていますが、この駅は半地下状の駅です。(右上側2番目写真参照)この写真でもお分かりの通り、地上から地下の線路は見えています。また、地上より上の部分は、鉄骨むき出しの造りです。この旅行中、駅も様々見ましたが、こんな構造の駅は、ここだけのようでした。
あと、右上側2番目写真の右奥側に見えているのは、「Rathaus Stuttgart-Feuerbach」(直訳すればシュトゥットガルト市のフォイエルバッハ庁舎となるのでしょうが、より分かりやすく言えば「フォイエルバッハ住民センター」もしくは「フォイエルバッハ地区コミュニティーセンター」みたいな雰囲気ではないでしょうか。この建物は、ちょっとした学校みたいな外観でした。
地元商店で買い物
ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅方面を振り返りながら写真数枚撮り、今度はグラーツァー通りを進みました。200mも歩かない内に建物の軒先に黄色地に大きくE、さらに小文字でEDEKA(エデカ)と書かれた看板が見えてきました。(右上側3番目写真参照) ここは、日本語風に言えばスーパーストアーのチェーン店の一つで、「E neukauf Feuerbach(エデカ・フォイエルバッハ店)」とでも言うのでしょうか。
ドイツ語版ホームページで検索して見ますと、このEDEKA(エデカ)チェーン店は、1898年に創立、店舗数は約4,100店あり、ドイツ国内での市場占有率は26%のようです。玄関から入りますと、直ぐ両脇に様々な商品がありました。そして、さらに店内を進みますと、新鮮な野菜、果物、乳製品、肉類、ビール、ワインや日用品など、見た目も綺麗にキチンと並んでいました。
果物類の箱に「KAKI」と書かれた文字を見つけました。これは、どうも日本の柿(かき)のようでした。私は、品種まで分からないものの、ふっくらとした富有柿(ふゆうがき)のようでした。「へえ〜、日本の柿までドイツで売られているのか」、「こちらでは高級食材かなあ」などとの話が出ました。
さらにに店内をまわり、シャンプー、歯磨き粉、チーズやワインなども買いました。すると、けっこうな量や重さになりましたので会計を済ませた後で、私のザックに入れて店を出ました。スーパーだから何でも売っているのが当然でしょうが、通常なら毎日通っても、この一店舗でも充分なくらいの品揃えでした。
小売店が元気
グラーツァー通りをさらに進みますと、別の通りに出てきました。ここから、シュッツガルター通りを東に進むことになりました。最初に綺麗なパン屋さんに立ち寄りました。私は店内には入らず、周囲を見ながら店構えなど写真数枚を撮っていました。
次に、グラーツァー通りの反対側に行き、ゆるい坂道を登りますと、果物屋さんが見えてきました。(右上側4番目写真参照) 先ほどのスーパーEDEKA(エデカ)店とか、日本にある郊外型の大きなスーパー店に比べれば写真のように横幅3m、奥行2mもないような店先でした。でも、私のような昔人間にすれば、なんと郷愁漂うような、いい果物屋さんでしょうか。
私の住んでいます大村市内でも、かつて、このような果物屋、魚屋、菓子店、酒屋などの小売り店は、どこの町にでもありました。そして、大村弁で「今日は良か魚が入ったけんが、買っていかんねえ」、「あいば、買いまっしょう」などの会話を年配の人達はしておられました。それが、単に物を買う行為だけではなく、人同士の潤滑油(コミニュケーション)でもありました。私は、日本人にとって本当に大事な何かを無くしつつあるなあと、実感もしています。
そのようなことを思いながら日本から来て、このドイツやヨーロッパ各国では、小売店や地場産業が盛んなのには、毎回驚かされます。同じ資本主義国、同じような商店、同じような物を売っています。しかし、現状や結果は、日本では苦しい状況が続き閉店に追い込まれています。片やヨーロッパでは元気で、今なお活況を呈している状況です。
何が違うのでしょうか? その答えは、もう明らかです。簡単には言えませんが、ヨーロッパ各国では、小売店や地場産業にも目配りしている成熟の政治そのものが違うと思います。また、今回のように現地を見ないと、日本の報道だけでは分からないのも事実です。
夕食にイベリコハム
私たちは、果物屋さんから、さらに通りを登ると、14時前頃にアパートに着きました。まだまだ、夕方には時間があり、どこかに外出しても良い時間でした。ただ、今日は、朝からシュッツガルトのクリスマス市にも行ったし、夕方までゆっくりしようということになりました。各々それぞれ何かをしていましたが、義兄と私は、iPadに向かって、今日の観光コースや感想などを、のんびりとメモしていました。
また、Wi-Fiも使えるので日本のニュース、あるいは明日(12月19日)行く予定のエスリンゲンの観光名所などを検索しながら見ていました。エスリンゲンは、賑やかなクリスマス市や古城もあるようでした。そして、この周辺地域では、珍しくあまり空襲にも遭ってないようなので期待が持てました。
そうこうする内に、夕食の時間となりました。先に掲載しています「シュトゥットガルトのクリスマス市その6( マーケットホールなど)」ページのマーケットホール(Markthalle)で購入したイベリコハムも食卓にのぼりました。(右上側5番目写真参照) このハムのイベリコは、当然イベリア半島のことで、たぶん、スペインから輸入されたものでしょう。
見た目は、まるで牡丹(ぼたん)の花のように盛ってあり、皿からはみ出るほどでした。そして、帰り道買ったパン、フルーツなどにも良く合い、なかなか美味しかったです。お腹の方も充分満足しましたので、今夜は早目に休もうということで、義兄と二人でホテルに戻りました。そして、部屋でメモ書きを再開して、数時間もしない内に、ウトウトしてきましたので寝ることにしました。
(掲載日:2016年5月30日)
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(旅行メモ)
2015年12月18日(ドイツ時間)
12時10分、カールス広場の「アンティークとコレクター市」を見学
12時20分、ドロテーエン通りの郷土料理店で昼食
12時45分、キルヒ通りまで行って、またドロテーエン通りに戻りマーケットホールで夕食を購入
13時00分、キルヒ通りからブラニー通りのクリスマス市を見学
13時05分、シュロス広場駅(地下鉄)の構内で時間待ちで大きな液晶モニターを見て電車に乗る
13時30分、ヴィルヘルム・ガイガープラッツ駅に到着
13時40分、EDEKA(エデカ)、パン屋、果物屋で購入
13時50分、アパートに戻り、雑談
17時00分、夕食
20時30分、ホテルに戻り、メモ記入など
21時00分、就寝
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