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聞いた言葉・第225回目、日本は戦術はあっても戦略がない国

日本は戦術はあっても戦略がない国

 今回の言葉は、主に小説家・司馬遼太郎氏の小説やテレビインタビューなどで繰り返して発言されている内容を集約したものです。私は、同氏の小説を全部読んだ訳ではありませんので、標題と全く同じ表現か、どうか確認していません。また、下記「 」内の同氏の意見内容は、概要(大要)のみや、まとめ直している点も、ご注意願います。ですから、あくまでも、このページは、ご参考程度に閲覧願います。

 なお、ここで、毎ページのように書いていますが、私の『聞いた言葉シリーズ(もくじ)』は、今回の司馬氏や同氏の小説の紹介ページではありません。あくまでも、私が聞いた言葉の一部分を書いているだけです。詳細を知りたい方は、例えば、同氏の小説などを参照願います。

 また、司馬氏は、国語辞典をはじめテレビドラマでも、たびたび原作者として名前が出るくらいの超有名な方です。そのようなことから、同氏の意見に対して賛成•反対•異論も多いかとも、推測しています。逆に言えば、今回のような国家論的な見方について、1億数千万人の国民全部の賛同を得られるのは、当然ありえないものとも思えます。むしろ、私は、先に掲載中の「聞いた言葉・第7回目、『毒にも薬にもならない話し」にも書いています通り、万人に当たり障りのない話ばかりでは、何の役に立たないとも思っています。

用語解説<下記の解説は広辞苑より>
 司馬遼太郎(しば りょうたろう)-----小説家。本名、福田定一。大阪生れ。大阪外大卒。乱世・変革期の群像を描いた「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの小説や、紀行「街道をゆく」で司馬史観と呼ばれる柔軟な歴史解釈を示す。文化勲章。(1923〜1996)

 戦術(せんじゅつ)-----(strategy)戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。転じて、政治・社会運動などで、主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう。

 戦略(せんりゃく)-----(strategy)戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。転じて、政治・社会運動などで、主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう。

 標題の言葉の補足として、司馬氏は、(分かりやすく例えれば軍隊の階級で)「日本人には少佐クラスまでは優秀な人がいた」(一部分のみの局地戦は優れていたという意味) 「しかし、将軍(ジェネラル)という階級はあっても、世界的規模で政治・経済・人の心を総合的に見れる諸価値の総合者はいなかった」とも述べておられます。

 特に、この日本人の中でも、「国家の指導的立場の人(政治家など)に、全体を見通す戦略のない人ばかりだった。そのため、日本は不幸な結果(先の大戦による日本人だけでも約320万人以上の犠牲者や敗北など)になってしまった」との主旨の発言もされています。

 つまり、国家的な重大事項である戦争で終わりのこと(講和など)を考えずに、開戦してしまったら戦術面の話ばかりで、どう戦争を集結(両国間の講和など)したら良いのかという最も重要な戦略がなかったということです。それは、先の大戦でも、諸戦(真珠湾攻撃、マレー沖海戦、シンガポールやフィリピン攻略など)の勝利に喜んでばかりで、今後どうやったら戦争終結(講和)に持ち込んでいけるか、真剣に考えていた政治家や将軍はいなかったとの趣旨です。

 その後、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島での戦い、インパール作戦などでの大敗北もありました。また、サイパン島を失えばアメリカ軍のB29機が日本の大部分を空襲できることは、当時の政府や陸海軍も知っていたのでした。だからこそ、そのサイパン島陥落(玉砕・全滅だった)の責任をとって当時の東條内閣は総辞職させられたのでした。

 ここから書くことは、決して結果論ではなく、最初から多くの人が当時も知っていたことです。それは、主に日米の工業力や経済力の対比の話しです。日本とアメリカとの対比で、例えば戦争を進めるのにも必要な石油・鉄・アルミニューム・食糧などは、元々から何百倍と生産力が違っていたのです。

 さらに分かりやすい例として、当時の戦争の勝敗を決した航空戦力である軍用機の製造機数(その主な時期は1941年12月の開戦から1944年8月の終戦まで造られた)を、大雑把ながら次の数字でご覧願います。日本で有名で最多製造機の海軍機の零戦(ゼロ戦)は約1万400機、2番目は陸軍機の隼が約6000機です。他にも別の戦闘機の機種や爆撃機も含めば、合計数万機は、製造されたでしょう。しかし、方やアメリカ軍機は、同じ戦中時期だけでも数十万機製造して、1944年の単年だけでも約10万機の軍用機を製造したことが分かっています。

 その戦闘機などを搭載する航空母艦(空母)に至っては、日本はどんなに急いでも数年に1隻、方やアメリカは、小型空母含めて1週間に1隻ペースで建造していたのです。戦車や軍用車両については、書く必要もないでしょう。対比上分かりやすい軍用機•航空母艦•戦車や軍用車両だけでも、どの分野も圧倒的な差、しかも二桁違うような製造能力=工業力の差があったことは、最初から分かっていたことです。

 いくら日本に大和魂のある武勇に優れた将兵が沢山いても、近代の戦争は国力=あらゆる工業力・人口・人材も含めた総合力が勝敗を決していくのは、自明の理でした。繰り返しになりますが、これは決して結果論ではないのです。司馬遼太郎氏は、こんな国力差を知りつつ、さらには戦争や今後どうして国家を運営していくのか、その戦略もないのに開戦してしまった日本の指導者に強い憤りを感じて、今回の標題と同趣旨のことを繰り返されたと思われます。そして、いったん開戦してしまえば、強くて勇ましい大きい声だけが空気を支配し、それ以外は弱腰、非国民とまでいわれたのでした。

 そのような勇ましい声に反比例するように結果は、ズルズルと敗北を重ね、日本各地の空襲、沖縄での地上戦、広島•長崎の原爆となり、軍人から子どもたちも含め大きな犠牲が出たのでした。このおびただしい国民犠牲者を出さないために、どうしたらいいのかという大事な命題は、当時の指導者層になく、ただ「なんとかなる。1億国民の玉砕突撃で頑張れば、どうにかなる」などの精神論しか持ち合わせていなかったのです。そして、戦況は、泥沼にはまったような敗北の繰り返しで状態で、昭和20(1945 )年の8月を迎えたのでした。

 司馬氏は、先に述べた戦前のことだけでなく、戦後も似たようなことが続いているからこそ、今回の言葉と同趣旨のことを言い続けられたとも私は思っています。戦後の政治状況も一時期を除けば、分かりやすい言葉で「内政は大企業のいいなり、外交・安保はアメリカのいいなり」が、終始一環おこなわれてきました。

 つまり、一応、日本は独立国なのに、「自分の国の将来=国家像を、どうやって造り上げていくのか」という肝心要の国の羅針盤がないのです。政権は変われど、常にアメリカのご機嫌伺いみないなことは長年続き、分かりやすい例でアメリカで欠陥品と呼ばれていた軍用機や設備を購入し続けている例さえあります。

 また、経済や工業分野でも長期戦略がないのと同じで、次々と世界的に有名な日本の企業が外国に買われ、一時期は他国の追随を許さないほど優れていた技術や物づくり分野も、アジア諸国に負けている状況もあります。さらにいえば、30年近くまともな賃上げものないのですから、国民所得でも同じアジアの韓国より下回ってきています。

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 空気で作られた「真実」と「正義」
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 そのような恥ずかしい状況を隠すために、この間違った政策を根本から正すのではなく、近年の例では、アベノミクスが、あたかも成功しているかのように誤魔化すため、建設業の受注動向などの調査票を国土交通省は書き換え、データの二重計上していたことまで発覚したのでした。この基礎データは、国民総生産(GDP)の数値にも影響があるのではとの報道もあります。

 このように見せかけの成長とか、誤魔化しの経済政策しか、もう日本に能力は、残っていないのでしょうか。これでは、いくら戦いに負けていても戦前の大本営発表と同じような「敵空母と戦艦・・・隻を轟沈大破」「勝った、また勝った」とか、(事実は玉砕して全面撤退なのに表面上は)「ガダルカナル島より転戦」と同じように見えます。

 司馬氏の繰り返しの発言内容は、戦前だけでなく戦後も、ずっと続いている感がします。一見、今回の言葉=日本は戦術はあっても戦略がない国は、難しいテーマのように思えます。しかし、そのかすかな展望は、「国をどうしていくのかの長期戦略持たずに(日本に主権も選挙権もない)アメリカや財界のいいなり政治を続けている政治家などに退場してもらう」ために国政選挙などによって、根本的に入れ替えれば、実は、少しでも光明が見えてくることでもあります。

 最後に私は、毎回のように「聞いた言葉シリーズ(もくじ)」で書いていますが、「全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない」と、「明日の天気は変えられないが明日の政治は変えられる」などの言葉です。国民一人一人は、弱いように見えても、まとまった国民世論の力が、今回の日本は戦術はあっても戦略がない国とは逆に、国としての羅針盤をもった、それこそ国民に長期の展望ある日本につながるように思えます。


(記:2021年12月27日)

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