同僚たちがステージで・・・(?)
この大阪南ケントス店のオープン当時、私は、全く知りませんでした。大阪での1号店(当初は、「大阪ケントス」と呼称していました)でしたが、残念ながら、1999年12月末に閉店してしまいました。
私が最初にこの店に行ったのが1986年夏でしたが、この当時ズボラな性格上(今も変りませんが)、日付けなど手帳には書いていませんでした。
ただ、記念にもらった店内誌(OLDIES STATION、6号)を(今も持っていますが)見ると『1986年夏号』でした。この店へは、梅田ケントスができる間よく通い、その後は数箇月に1回くらいになりましたが、合計50回以上は通ったと思います。
その中でも、特に思い出深いのが2回ありました。ひとつは、1986年12月8日全日空乗員さん(フライトエンジニアー)の親睦会が、難波で開催され、その二次会でケントスに皆で繰り出し、知り合いの乗員さんやスチュワーデス(現在のキャビンアテンダント)さんたちと半ば貸切状態みたいに盛り上がったのを良く覚えています。
二つ目は、1992年10月10日同僚の結婚式が難波のホテルでおこなわれ、その二次会、今度こそ正式な貸し切り(笑い)の場所として使わせてもらいました。
挨拶などもそこそこに、乗員さんのバンド『ブッチ』のメンバーが、グループサウンドやベンチャーズメドレーを演奏されるや、いきなりほぼ全員で踊りだしたものでした。私自身も、当時スキーなどに一緒に行っていた神戸の女子大生2名といろんな話ししたのを覚えています。
また、同僚たちが東京農大名物の”大根踊り”(この時は大根なしでした)(笑い)もステージで10人くらいでやっていました。全国ケントス数々あれど、上半身裸でステージで踊りまくった例もないのではないでしょうか。
話しは前後しましたが、この店は、玄関入って右側にドリンクサービスのカウンターと席(左最上部写真)、その奥がメインのフロア-とステージ(右側上部写真、写真右側がステージ)、さらにその奥にトイレと厨房などがあり、とにかく、、全体が細長い作りでした。このような細長い店内は、それはそれで、全国にもあまり見なかったと思います。
私は、この店では大抵一人でカウンター席に座り、遠くから(笑い)ステージを見ていたという感じでした。ただ、ステージ合間にバンドの方が飲み物を取りに来られるので、必然的に挨拶やその他の会話もしていました。
ここのバンドは、店オープン当初からハートブレイカーズの皆さんでした。その中でも、特にケンさんは目立つ存在でした。この方は、1988年10月封切りの映画(当時のケントスグループの総力で作られた)『この胸のときめきを』に挿入された歌のひとつ「オンリーユー」を歌われました。
(上野注:この映画及び音楽テープの件は、いずれ「ケントスおもしろこぼれ話し」か「おもしろグッズ」かに詳しく書く予定です)
また、(以前のページ「大阪梅田ケントス、その3」にも書きましたが)この店及びこの会社グループ店のバンドで録音された(1988年)「サマーミュージックスペシャル」のテープに、このケンさんも「デイドリームビリーバー」の曲を歌っておられます。
私は、この店には梅田ケントスの次に通った回数が多いのですが、ただ、当時住んでいた池田市に帰る関係上、いつもなんか「これから、エエ時間やのになあ。もう帰る時間かあ」と言う印象が多かったです。そのためか、梅田店ほどは、バンドやスタッフの方とも親しく話しせず、今から思うと、ちょっと残念な感じでした。 (記:2002年5月29日)
(上野注:このページの画像は、店のパンフレット及びカセットテープなどの写真からです)
大阪南ケントスのデータ (下記は、1997年3月時点) 閉店しました。 |
バンド名 |
ハートブレーカーズ(ハウスバンド) |
所在地 |
大阪市 |
電話番号 |
- |
大阪南ケントスへのリンク |
特記事項、その他 |
オープンは、198?年3月
閉店は、1999年12月31日
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