何か物事を進める時とか、雑談でも自分に対し、賛成意見や同調した意見を聞いたら、耳障りが良く、ここちいいものです。それに反し、反対意見や自分と違った意見をずばり聞かされた時などは、ムウッとしたり、反発したりすることもあります。
私は、同じテーマや同じ資料に基づいて考えれば、その結論は、同じか大体似たようなものに達するものだと思います。しかし、その人の寄って立つ所の環境や考え方が違えば、同じテーマでも、その進路や解決方法など、全然違った意見が導き出されることを幾度となく、私自身も経験しました。
それに、会議など、全員の意見を求められ、大勢の意見が出尽くした時に、反対や違った意見を言うのは、なかなか、勇気も伴うものだと実感しました。
誰だって、自分の意見を述べる時、今までの経験やデータをもとに(目の前にある事柄も見ながら)ことによっては熟慮し、場合によって瞬時に言うものです。
その中には、大勢の意見からすれば「正しい意見」ではない、むしろ反対の違った意見でも、その人の考え方や寄って立つ所の環境まで、否定できないものと思われます。
場合よっては、その当時少数意見で全体からすれば、「否定」されても時を経る中で、まわりの環境の変化もあり、「正論」に変化していくことは、世の中に沢山あると思われます。
社長や指導者と呼ばれる方は、まわりに賛成意見を言う人を置くことも必要ですが、いかに多くの「反対意見」「違った意見」を持つ人ことが、度量の大きい人だと思います。このことは、時として大きな力を発揮する財産でもあります。
何でもかんでもトップダウン式に決めて、実行を迫る人は、一見時間の無駄がなく、強い実行力があるように見えます。しかし、人一人の考える範囲や行動力には、おのずと限度・限界があります。
「調子よく、うまくいっている」時は、意外とトップダウンやワンマン式は、いいように見えても、逆に悪化した場合は、「合意形成」が少ない分、想像以上にもろいものだと思いました。
「反対意見にも、真理あり」は、その時、一瞬だけを指していることではないと思います。(記:2001年9月14日)