銅は金と同じ、銀は金より良い
今回のこの言葉、私は大村市内のある店で(2008年7月)いつもお会いするお客さんより聞きました。 「北京オリンピックが近づいて金メダル、金メダルと騒いでいるが、世界で1番目と3番目と、どう違うのか、私には分らん。文字では『銅は金と同じ、銀は金より良い』と書くではないか」と。
オリンピックの話題の前に、金にまつわるそもそもの話しからです。古来中国では金も銀も銅も全部”金”と総称していたようです。さらに金銀銅の意味を国語辞典の大辞泉を参考にすると、金は黄金(こがね)、銀は白金(しろがね)、銅は赤金(あかがね)と呼ばれ、いずれも”金”が名前に付いていて、どの金属でも高い価値があったのです。
ヨーロッパでは通貨が金本位制になる以前は、銀が金よりも貴重品にされていたようで、例えば日本の戦国時代などには銀で貿易していたとを学校の授業で習ったような記憶があります。あと、私が高校時代に真空管などを使ってステレオのアンプなどを作っていた頃、「電気の伝導率は金銀銅の内では、金の次に銅が良い。だから真空管の足には銅が使われている」みたいな話を同窓生から聞きました。
大昔から様々な金銀銅の変遷があって、価値観そのものも、さらにはその金属を使う用途によって利用価値としても色々な評価があったと言えます。つまり、全ての価値や分野において金が総て高くて、銀や銅があらゆる面で下回っていたと言うことではないと思われます。
話しはオリンピックに戻りますが、長いオリンピックの歴史では、試合前から「あの選手は金メダルを取って当たり前」みたいに報道されても、結果取れない選手がいくらいたでしょうか。 逆に、前評判では入賞はおろか、全くノーマークの人がいきなりメダルを取って大騒ぎした例も沢山あったと思われます。
私みたいに運動しない者とって、例えば、ただ泳ぐだけでも、ただ走るだけでも大変で、さらには棒高跳びとかハンマー投げとかは見ることできても、自分で出来る運動ではありません。そんな素人で、しかも自分勝手な解釈ながらも、世界や各国から選ばれてオリンピックに出場できるだけでも大変なことだと思います。
ましてや、その選ばれた大勢の選手の中から、さらに金、銀、銅メダルとか入賞するのは、私の想像を越えた世界みたいなものです。あと「メダル取れないくらいならオリンピックに出場しない方がまし」みたいなことまで聞いたことありますが果たして、そうでしょうか。
日本の報道(特に、テレビ)は、ずっと以前から有名選手で、どちらかと言うと(国民の多くがそう思っているかどうかは別ですが)”メジャー”と呼ばれる競技種目ばかり連日連夜のように放送しています。オリンピック中は、さらにその傾向が強くなるのでしょうか。私のような者は、どちらかと言うと、メジャーでない競技でもマスコミの前評判に登らない選手でも一生懸命頑張って自己ベスト記録とか(入賞になればなおいいのでしょうが)出すシーンも数多く見てみたいです。
また、例えが極端過ぎると思いますが、結果において薬物テストでメダル剥奪される前の競技シーンを何回も見せられるより、結果メダルは取れなくても、ひたむきに競技して万雷の拍手を浴びている選手の姿が胸を打ちます。また、これから「あのような選手になりたい」と、夢を持つ子どもさんのためにも、このような報道が価値あることではないでしょうか。
オリンピック(競技)始まる前から、まるで”勝ち組”、”負け組”あるいは「有名組」、「無名組」を選別し、前者だけしか報道しないやり方は、果たして正しいのでしょうか。ほとんどの競技の場合(当然団体、チームワークもありますが)、自らの体一つで体力と知力を結集し日頃の練習の成果を発揮して全力を尽く選手の姿に多くの方は感動されているのではないかなあと私は思っています。
『銅は金と同じ、銀は金より良い』と言われた方の本音は、どの選手も頑張っているのだから(有名人に群がる)パパラッチみたいな報道は見たくないと言うことだろうと思います。それより、あまり知られていないような競技者が大活躍する、そんなシーンを撮るのが報道の醍醐味ではないかと、私は思います。さらに申せば報道関係者がオリンピック報道の”金メダル”=スクープを取られるところを見てみたい気がします。