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聞いた言葉・第117回目、『跳ね馬は一生、跳ね馬』

跳ね馬は一生、跳ね馬

 今回のこの言葉、色々とお世話になっているご夫婦の奥様から聞きました。この言葉は、人によって様々な解釈や表現の仕方はあるようです。その中には、定年退職などになっても現役時代の職業上の肩書きそのままのような人、あるいは人に接する時に偉ぶった態度が変わらない人の場合を言うようです。いい意味で使う場合も全くないとは言いませんが、 そのほとんどが、当該本人のまわりの方から、やや嘲笑に近い、あるいは諦め混じりの言葉として使われているようです。

 本題に入る前に、「跳ね馬」ついて書きます。この言葉は競走馬を評するような時には馬の名前の頭に付くのかもしれませんし、自動車ならあるスポーツカーの代名詞みたいに、 いい意味でも使われています。

 あと別の意味での事柄も書きます。その昔、現代のようにトラック、トラクターや農業用機械がない頃、田畑を耕すにも何か物を運ぶにも牛や馬は 大活躍しました。そのような農耕馬の場合、大人しく何でも人の言うことを聞き分ける馬が最高でしたし、仕事も速く終わりました。

 しかし、 中には人の言うことをきかず、飛んだり跳ねたりして一向に農作業がはかどらない牛馬もいました。そんな時、飼い主は「この暴れ馬め!」(牛の場合なら「暴れ牛め!」)などと 言って怒っているのを私も子どものころ何回か見た覚えがあります。そんな時に「あの馬は、跳ね馬だー」と言う別のいい方も聞いたことがありました。

 馬の持って生まれた性格も当然あるのでしょうが、農耕馬の場合なら場数を踏んで、それなりに慣れてくるはずなのに直らない場合もありました。 そのようなことから、「あの跳ね馬は一生、跳ね馬ねえ」と半ば諦め気味に飼い主は言われたと思います。 このような農耕馬の「跳ね馬」から転じて、冒頭のような人を評価する言葉としても使われているようです。

 人を指導したり、あるいは助言を与えて多くの方を導いていく職業や肩書を持った方で、さらには真摯で高潔な人柄なら立派な方だろうと思います。そのような方なら、たとえ現役を離れられても大勢の方々から慕われ、さらに活躍の分野を広げられる可能性があると思われます。また、他の方々からは自ら何を言わなくても、現役そのままの肩書きや尊称で自然に呼ばれると思います。

 しかし、中に何か勘違いして職業や肩書が退職その他で条件が全く変わったにも関わらず、何ら変わらないままの感覚で物言いをする方も見受けられます。しかも、その必要性は誰もないのに相変わらず、現役当時の肩書きか尊称で呼んでもらわないと機嫌が悪い人もいるようです。たぶんに、このような方は、たとえ立派な業績を過去にあげても自分一人の力で何でも出来たと勘違いしている人と同種の方と思われます。

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 常に自制心と謙虚さを持って

 良く「内助の功」という言葉も世の中にありますが、毎日を支えて下さる奥様を始め、あるいは自らの仕事の周辺では、それこそ同僚や多くの方の支援で仕事は成り立つものだと思います。

 「跳ね馬は一生、跳ね馬」という言葉は、一生の後半から言われるのではなく、今活躍中の、その時から言われても仕方ない言動や態度があるから、後で皆様から言われるのかもしれません。

(記:2008年11月26日)

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