TOP INDEX BACK NEXT

聞いた言葉・第19回目、浄財も悪銭も金の本質自体には変わりはない

浄財も悪銭も金の本質自体には変わりはない

 この言葉は、今まで(2002年11月現在)まで、30数年にわたって『ビッグコミック』誌に連載されている『ゴルゴ13』に書かれていたものです。私が高校時代最後か就職した頃に読んだ作品だったと思います。話しの流れは、アメリカのキング牧師を尊敬する人たちがお金を集め、牧師暗殺犯人を狙撃してもらおうとゴルゴ13に仕事(スナイパー=狙撃手)を依頼すると言うストーリーでした。

 ゴルゴ13へお金を渡す前に依頼人が「このお金は多くの皆さんから集めた浄財で・・・」と言う説明をおこなっていたところ、それをさえぎるようにゴルゴ13が言ったのが、「・・・浄財も悪銭も金の本質自体には変わりはない」と言うことばでした。

 私は後で書きますが、この作品全体がどうのとか、話しの是非がこうのではなく、このお金に対する考え方(評価など)が、その後印象に残り(作品の詳細は忘れても)ずっと覚えていました。

 当時の私の例ですが、たとえば初月給、初ボーナスだったりとか、あるいは同僚が借金払ってくれなかったことなど、お金にまつわる記憶は様々あります。また、ひとによっては、ある収入や逆に支出など、思い入れの深いお金も、人それぞれにあることだと思います。

 しかし、貨幣価値は時代や情勢によって違っても、(どんな浄財であろうが悪銭のお金でも、1万円は1万円であると言う)「お金の本質自体には変わりはない」との表現は、その通りだろうと思います。

 物覚えの良くない私が、妙にいつまでもこの言葉を覚えていたのは、当時(親のスネかじりから卒業する頃)、お金自体についての評価・表現を今までと全く違う形で、この時始めて文字として見たからでしょう。また、この作品で狙撃を依頼する人がスナイパーに仕事(殺人=犯罪行為)を頼む時の情景に全く不釣合いな言葉(浄財=慈善・社会事業などに寄付する金)だったからかもしれません。

 その後(この言葉と意味は少々違いますが)「お金に色はついていない」と言うことばも聞きました。サラリーマンにとって身近で毎月支払われる賃金にしても、基本給、残業代、通勤補助手当などの明細はあっても、総額で入っている以上、「ここまでは会社への貢献度、ここからは自分の生活費分」などと思って受け取る人はほとんどいないと思います。また、支払う側の会社もイチイチそのようにお金を分けて考えるのではなく、たとえ何がしかの意図があったとしても、総額だろうと思います。

 それは、子供の頃のおもちゃ式の貯金箱に入っていたお金も、大人になって銀行振込で入金されたお金も、価値自体は同じだから、当然と言えば当然です。むしろ、違っていたら大変なことですが。

 中には「いやそれは違う。『使えるお金』、『使えないお金』、『貯めておくお金』などと、お金にもそれぞれ役割があるのだ」と言う方もいらっしゃると思います。これもまた、しかりです。私のような一介の庶民ならばいざしらず、中には何万何十万人の代表といわれる人(政治家など)が、このお金の役割分担を知りながら(意図的に知らないふりをして)『もらえるお金』に変えることもよく報道されていますが。

 お金の価値自体は万人平等ではあっても、お金によって人は幸福にもなれば、不幸にもなるし、もらう時には嬉しくもあり、借金返す時には苦痛にもなります。なんとまあ、お金は千両役者みたいなものでしょうか。

 願わくば私としては、これ以上貧乏神は住みつかないで、どこか遠くに行って頂き、できれば福の神がずっと近寄って頂き、狭い家ではありますが一緒に住んでもらえないかなあと思っています。

 最後になりましたが、今回の言葉の出所でありますゴルゴ13の作品は、私の感想として、劇画が大変丁寧に描かれているなあと言う印象が、まずあります。それに、取り上げられているスートリーが、その時の情勢(政治、経済、その他・多方面)を直ぐに取り入れ、中には「なるほどそうか」と思うような背景説明まで加えられていて、感心したこともありました。なかなか、日本にはない作風だからこそ、息の長いシリーズだと思っています。 (記:2002年11月29日)

TOP INDEX BACK NEXT