TOP INDEX BACK NEXT

聞いた言葉・第20回目、継続は力なり

継続は力なり

 この言葉自体は、ズボラな性格の私が解説するまでもないくらい分りやすいです。ただし、言うだけでなく実行するとなると、なんと重みと深みを持って迫ってくる言葉でしょうか。(今回のこのページは、仕事上のことも書いてはいますが、主には趣味などのことです)

 このことばは、色々な人から多くの場面で聞きました。その中でも、私は、(沖縄の座間味島に約20年連続で、年数回キャンプを張って過ごす)乗員さんから、居酒屋で言われたことが、今でも良く覚えています。

 実は私も、この乗員さんに連れられて座間味島には5回ほど行ったことがあるのですが、私はその後、沖縄本島に行っても、この島までは行っていませんでした。私が、居酒屋で「今度、行ってどうでしたか?」と尋ねると、「いつも綺麗な海を見て、キャンプ張って過ごすのもいいもんだよ。遊びでも”継続は、力なり”だから続いているのかなあ」と言われたのが、特に良く思い出されます。

 座間味島といえば、私の印象として、透明度50メートルの澄み切った海、真っ白な砂浜、七色の魚が寄ってくる珊瑚礁、ゆうゆうと泳ぐマンタ、無人島の野生のヤギ、水平線に沈むまばゆい夕日、暖かい人情など、今なお忘れられません。

 ただ、そんないい所でも連続して毎年行った時期と、パタリと行かなくなった現在までとを比較すると、やはりそこには継続力といいますか持続性といいますか、何かが横たわっているのだなあと思いました。そうは言っても、何か大きい力とか問題ではないのですが、趣味でも遊びでも、継続することの難しさを痛感しています。

 私は、ずっと、たとえそれが趣味や遊びであっても長く続けておられる方を見るとうらやましいと同時に、自分も続けていれば良かったのになあと思うのも多々あります。当然、日記の三日坊主も何度となく経験しました。

 ”継続は、力なり”の力の意味を、私なりに考えて、一つは継続して繰り返していく力、二つ目にはそのことによりさらに力がつく(あるいは同じ繰り返しでも、何か別の、新鮮な、変った良さなどを発見する)ことではないだろうかと、思っています。

 はたから見れば、「なんや、飽きもせんと、おんなじことばかりしてえ」と思われても、なかなか、それはやっている本人にとっては、努力賞並みの奮闘ができないと続けられないこともあります。各種スポーツにしても、試合そのものよりも、練習の繰り返しが、その大半でしょう。

 結果どうあれ、まず、その練習に耐えきれず、やはり、途中でやめてしまったと言うことも、スポーツでもその他文科系の趣味でもあろうかと思います。継続するということは、続けることそれ自体にエネルギーも要りますが、続けることによって新たなエネルギーも出てくるので、またさらに続けられる力になると言うことなのでしょう。

 仕事でも趣味でも、何かの目標に向かって、その達成のためにやっている時は(たとえ同じ事の繰り返しでも)張り合いみたいなものがあります。
また、ものごとの結果、やってもやらなくても同じ結論を持っている人たちがいたとしたら、私は長年続けている方の話しに興味があります。

 それは、同じ結論でも幅広く、多角度で、多くの方に接して結論に近づいてこられたので、結論以外に私の知らない世界を教えてもらえると思うからです。『結果が全てだ』と言う風潮が強い中で、同じことの繰り返しが出来た経過を聞くことも、ある時は結果以上に重要ではと、私は思います。(記:2002年12月9日)

TOP INDEX BACK NEXT