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聞いた言葉・第29回目、地球の大きさに比べれば・・・

地球の大きさに比べれば・・・

 私は、この言葉を学生の頃も社会人になってからも多くの方から聞きました。「上野君よ、いくら悔やんでも地球の大きさに比べれば、たいしたことはない。おおらかにいこうぜ」と。(地球の大きさと精神的な落ち込みと、比べ方が分りませんでしたが)失敗などが多い私にとって、諸先輩の励ましの言葉は、いつも嬉しくもあり、ありがたいことでした。

 ただ、普通は(毛利さんや向井さんのように宇宙飛行士ではないので)地球の大きさと言われても、実寸サイズを実感できる機会はないと思います。宇宙からの実感はなかっても、私も初めての海外旅行(1986年2月)時に、一部分についての体験はしました。
 この頃、日本からのヨーロッパ直行便はマダ少なく、その多くがアンカレッジ経由で行く便でした。成田空港を夜に立ち、もういいかげん疲れてくる頃にやっとアンカレッジ空港着陸、しばし、休憩後これからがさらに長い飛行時間でした。

 真冬のアラスカや北極海などの上空を飛行するのですが、3時間たっても4時間たっても同じ白い風景が続きました。

 それに、飛行高度1万メートル位の上空から見ると、大きな川が運河のように見えるだけで、人間や動物はおろか、大きな建物さえも見えませんでした。

 その時始めて(時速1000キロくらいで飛んでいるはずなのに)何時間も変らぬ風景と飛行疲れも加わって、「あー、やっぱり、地球は大きいなあ。早くパリの空港に着陸しないかなあ」と、心身ともに思いました。

 また、その時だけだったかもしれませんが、あれだけの地球のスケールを感じると、(諸先輩方から聞いた通り)人一人がつまらぬことで色々と悔やんだり、心配したりすることが、なんかほんとちっぽけなことで、アホらしくさえ思えました。

 あと、この旅行時、私はフランス、イタリア、イギリスの方と航空全般や空港内諸施設について、会議や見学をする機会がありました。ここで、今回のテーマからかなり脱線するかもしれませんが、特に、イタリアの施設や諸制度について(例えば、1か月のバカンスばかりではなく、社員食堂に胃の悪い人のためのメニューやコーナーがあったり、夜勤の人のために暖かい食事を出すとか、作業施設が機械化されているなど)、人を大切しているなあと思いました。

 また、「人生は楽しむものだ、そのために、仕事しているようなもんだ」と言う印象が強く残りました。この「人生は楽しむものだ」という言葉は(後の機会に再度書きたいと思いますが)、今回のテーマと似た趣のある言葉だったなあと感じていました。

 喜怒哀楽がなければ人でないようなものですが、さりとて何か仕事、出来事、人との関係などで、あまり一喜一憂していたら、それこそ体いくらあっても足りなくなるし、(特に、心配ごとばかりでは)食事も喉を通らなくなるのではないでしょうか。

 また、本人が望まなくて失敗し「一生の恥」とか重大事と思っても、地球の大きさ、歴史からすれば、ミクロ及び瞬きにもならないのかもしれません。あるいは時の経つのが早いこの現代において、数か月もしない内に、誰も、もう笑ってもくれなくなる、そんな感じだろうと思います。

 私自身、過去も現在もしょっちゅう色々ありますが、今回の言葉や「人生は楽しむものだ」と言うイタリアの方々の話しを聞くと、なんか「なるようになるさ」と思いながら、生活するのもいいものではないかなあと、思っています。(記:2003年6月6日)

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