聞いた言葉・第35回目、『いつまでもあると思うな親と金』
いつまでもあると思うな親と金 私は、この言葉を多くの方から聞きました。また、「いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難」と言う方もいました。いずれも、なるほど言いえて妙だなあと思ったものです。特に、この言葉で印象深いのは、私が若い頃見た漫画『博多っ子純情(長谷川法世/著)』です。 詳細なストーリーは忘れてしまいましたが、ある場面で主人公が、親からこのことばを言われ、あまり反論できず、独り言で「いつまでもあると思うな親と金、”そやから使いたい親と金”」と、見事に子供の立場を表現していました。 なんかこの言い回しが、記憶に残ったのは、当時私は一応社会人になってはいましたが、気持ち自体はたいして変っておらず、面白い言い方だなあと共感していたのかもしれません。 それから20数年後、元気そのものだった父が亡くなり、(頭の中では分ってはいたものの)やはり、この言葉の現実が到来するものだなあと実感したものです。 また、お金に関しても、20年くらい貯金や財形貯蓄をしても、私の場合ログハウス建設のために取り崩し、その無くなっていくスピードの速いことはやいこと、「あーあ」と言う間もないくらいでした。 その意味からして、この言葉はずっと昔から言われてきたのでしょうけど(私のように実体験してから分るのは本当に遅いのですが)当っているなあと思いました。また、「ないと思うな運と災難」も(この場合の「運」はどちらかと言うと「吉」より「凶」の方でしょうが)その通りで、災難にしても私の想像をはるかに越えて(阪神淡路大震災など大阪時代に)経験しました。 また、ずっと以前までは例えば、会社が(倒産などで)無くなるとか、仕事にしても(自己退職しないかぎり)失業するとか、考えにくい時代もありました。それが、今では「何でもありよ」の時代で、ずっと昔から言われてきた今回この言葉の重みが、さらに増していることでしょうか。 この言葉は、親子の会話などでは、使い方によってある種冗談ぽく聞こえる場合もありますが、「親と金」の部分を「地球資源」、「環境」や「食料」などに置き換えれば、地球規模の大きな問題としてクローズアップしてきます。どちらにしても、形あるものは大事にしない限り、やがてはなくなると言うことでしょうか。 そのことが分れば、いずれの事柄でも早目はやめに、手を打てと昔から言われてきたのでしょうが、なかなか、すっといかないことも多く、反省ばかりです。(記:2003年9月1日) |